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水 水の痕跡 資料確認済み

石屋川の天井川と旧石屋川隧道跡|何があった場所か

位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-08-30

石屋川は、六甲山系坊主山に源を発して大阪湾へ注ぐ、延長約2.68キロメートルの二級河川である。兵庫県の石屋川水系河川整備基本方針(令和5年3月)は、この川が神戸市東灘区の西側および灘区の東側を流れると記す。国土交通省近畿地方整備局六甲砂防事務所の教材は、六甲山麓では住吉川をはじめ芦屋川や石屋川などが、川底が周辺の平地より高い天井川となっていると説明する。同事務所は、土砂が大量に流れ出る川では川底に土砂がたまり、人々が堤防を高くすることを繰り返すうちに川底が周りの民家より高くなった、と成り立ちを述べる。兵庫県は、六甲山地が主として花崗岩から成り、激しい隆起と脆弱な花崗岩の厚い風化層がもたらす大量の土砂礫によって扇状地が形成されたと記す。この地形が、鉄道に変わった選択をさせた。兵庫県は、1874年(明治7年)に神戸・大阪間へ開通した鉄道の敷設工事の際、天井川となっていた芦屋川・住吉川・石屋川については河道の下にトンネルを掘って線路が敷かれたと記し、そのなかで石屋川隧道は最初に完成したため「日本で最初の鉄道トンネル」となったとする。六甲砂防事務所の教材は、当時の蒸気機関車では川を越える坂を登る馬力が足りなかったため、橋を架けるのではなくトンネルを掘ることになったと理由を説明し、工事は英国人技師が指導したと記す。ただし「日本初」の語は、資料によって指すものが違う。土木学会は、西洋の近代技術で掘られた日本で最初のトンネルが石屋川トンネルであるとし、長さを61メートルとする。一方、大津市歴史博物館は、滋賀県の旧逢坂山トンネルについて、当時の鉄道敷設は英国人が指導していたが、このトンネルは日本人のみの手で施工された日本最初のものであると説明する。競い合う二説ではなく、数えている対象が異なる。工法も、山を掘り抜いたものではない。新聞の報道は、川の流れを仮の水路に移し、川底を掘り下げ、レンガを積み重ねてトンネルを造りながら川を元に戻す方法が採られたと伝える。隧道そのものは、いま残っていない。兵庫県は、石屋川隧道が1894年(明治27年)以降の複線化工事や線路の高架化によって姿を消したと記し、六甲砂防事務所の教材も、現在は高架となり消滅していると述べる。兵庫県は、現在はJR東海道本線と石屋川が交わる東側に記念碑が残されているとする。新聞の報道は、石屋川公園の一角に、隧道の歴史と建設当時の工事写真を掲げた掲示板があると伝えている。遺構を見る場所ではなく、記録を読む場所である。

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