旧和田岬灯台(和田岬から須磨へ動いた灯台)|何があった場所か
須磨海浜公園の西寄り、砂浜を望む位置に六角形の赤い塔が立つ。神戸市の資料は、これをもと兵庫区の和田岬にあった灯台であると説明する。神戸市文化財課の解説資料によれば、慶応3年(1867)4月に江戸幕府がイギリスとの間で大坂約定を結び、関門海峡から大阪湾にかけて五か所の灯台を置くことが決まった。部埼・六連島・和田岬・江崎・友ヶ島の五基で、そのひとつが和田岬である。初代は明治3年(1870)1月に着工し、明治4年4月に竣工した。外面を白く塗った八角形の木造三層で、設計監督はイギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンが担ったと同資料は説明する。木造は耐久性に乏しく火災の危険もあるため、明治17年(1884)3月に六角形鉄造三層へ建て替えられ、灯りは石油からガスに替わった。塔の入口には「明治五年一月二九日初点燈於舊臺 一七年三月一日再点燈於新臺」と刻んだ記念額が今も掛かる。最上部の灯籠には当時のレンズの一部が残り、その台座には、イギリスのチャンス兄弟商会が明治3年に製造したことを示す刻印が読めると神戸市は記す。塔が和田岬を離れたのは昭和38年(1963)10月である。神戸市は、岬の周辺が埋め立てられて東側に新しい灯台が設けられ、役目を終えたと説明する。解体はされず、西へおよそ5キロメートル離れた須磨海岸へ移された。移設後は「須磨の赤灯台」と呼ばれるが、和田岬にあったころは白い塔だったと神戸新聞は伝える。平成10年(1998)には国の登録有形文化財となった。現存最古の鉄造灯台という評価は文化庁と神戸市の資料に見える。一方、燈光会と土木学会関東支部新潟会は、明治28年(1895)点灯の姫埼灯台(新潟県佐渡市)を最古の鉄造灯台として挙げる。姫埼は建設時の場所で今も灯り続け、須磨の塔は灯を消して場所を移した。

時のながれ
- 1867年 — 江戸幕府がイギリスとの間で大坂約定を結び、関門海峡から大阪湾にかけて五か所の灯台を置くことが決まる。そのひとつが和田岬だった。
- 1870年 — 和田岬で初代灯台の建設が始まる。設計監督はイギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントン。
- 1871年 — 外面を白く塗った八角形木造三層の灯台が竣工する。
- 1872年 — 初めて灯がともる。入口の記念額は明治五年一月二九日と刻む。
- 1884年 — 木造から六角形鉄造三層へ建て替えられ、灯りは石油からガスに替わる。記念額は同年三月一日の再点灯を刻む。
- 1963年 — 和田岬周辺の埋め立てで東側に新しい灯台が設けられ、10月15日に廃止される。
- 1963〜1964年 — 須磨海岸の現在地へ移される。神戸市の資料は昭和38年、文化庁の資料は昭和39年と記す。
- 1998年 — 国の登録有形文化財に登録される。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 神戸市文化スポーツ局文化財課の解説資料は、慶応3年(1867)4月の大坂約定で関門海峡から大阪湾内に五か所の灯台を置くことが決まり、部埼・六連島・和田岬・江崎・友ヶ島がその五基であったと記す。
- 同資料は、初代の和田岬灯台が明治3年(1870)1月に着工して明治4年4月に完成した八角形木造三層の白い塔であり、明治5年(1872)に初点灯したと記す。
- 同資料は、明治17年(1884)3月に六角形鉄骨造三層へ改築され、灯光がガス灯に変えられたと記す。
- 同資料は、入口の記念額に「明治五年一月二九日初点燈於舊臺 一七年三月一日再点燈於新臺」と刻まれており、明治5年1月29日に旧灯台で初点灯、明治17年3月1日に新灯台で再点灯した意味であると記す。
- 同資料は、灯籠に残るフレネル式レンズの台座に刻印があり、イギリスのバーミンガム近郊にあったチャンス兄弟商会が明治3年(1870)に製造したことが分かると記す。また塔の大きさを、地上から塔頂まで約15.75メートル、灯光の高さ約13.9メートルと記す。
- 神戸市の記者発表資料は、1963年(昭和38年)10月に和田岬周辺の埋め立てにともなって東側に新しい灯台が造られ、元の灯台は役割を終えて須磨の現在地へ移設されたと記す。神戸市の土木遺産のページは、廃止の日付を昭和38年10月15日と記す。
- 文化遺産オンラインが載せる国指定文化財等データベースは、名称を旧和田岬灯台、種別を登録有形文化財(建造物)、年代を明治/1884、構造を鉄骨造・直径7.5メートル・高さ17メートル、員数を1基、所在地を兵庫県神戸市須磨区須磨浦通1-1、登録年月日を1998年9月2日、所有者を神戸市と記す。
- 同データベースの解説は、現存最古の鉄造灯台であり、設計は英国留学から帰国した石橋絢彦かと推測される、と記す。兵庫県のヒョーゴアーカイブスも、現存する最古の鉄製灯台であり1963年に廃灯したと記す。
- 燈光会の灯台日本一リストは、最古の鉄造灯台として明治28年12月10日点灯の姫埼灯台(新潟県佐渡島)を挙げる。同会の姫埼灯台のページは、鉄造として我が国に現存する当時の姿をそのまま残している最古の灯台であると記し、土木学会関東支部新潟会は、当時のままの姿で活躍する鉄造りでは日本最古の灯台であると記す。
- 海上保安庁が挙げる現存する明治期築造の灯台64基のリストに旧和田岬灯台は含まれず、兵庫県からは江埼灯台と平磯灯標が挙がる。
- 神戸市の内部公開の案内は、この灯台が普段は非公開であり、灯台記念日にちなんで1階部分が公開されると記す。階段の老朽化のため上まで登ることはできないとも記す。
- 神戸新聞の記事は、この塔が当初は兵庫区の和田岬にあり、しかも白灯台であったと記す。
そのため、このページではこうしています
- 最古という評価は資料によって基準が異なるため、どちらか一方に決めず、両方の資料を並べて示した。
- 移設の年は資料が分かれるため、日付まで明確な廃止の月を軸に置き、年の食い違いも記した。
- 移設の距離は起点が特定できないため、おおよその値と分かる書き方にした。
- 内部の公開は年ごとに条件が変わりうるため、具体的な日時や受付の方法は書かなかった。
- 見学は公園内から外観を見る範囲で行いたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 移設前の灯台が和田岬のどの地点に立っていたかを緯度経度で示す公的資料は確認できなかった。移設の距離はおおよその値である。
- 設計者を石橋絢彦とする国指定文化財等データベースの記述には推測である旨が明記されており、これを裏づける別の資料は確認できなかった。
- 塔が白から赤に塗り替えられた時期を明記する公的資料は確認できなかった。
- 1963年に和田岬の東側へ新設されたという灯台の現況を、海上保安庁の資料では確認できなかった。
- 外観を公園内から常時見られると明記した神戸市の記述は確認できなかった。地域の記事が外観のみ常時見学できると記すにとどまる。
- 移設の年について、神戸市の記者発表資料と文化財課の解説資料は昭和38年(1963)とし、文化庁の資料は昭和39年と記して一致しない。
- 構造の呼び方について、文化庁は鉄骨造および鉄パイプ造、神戸市の解説資料は鉄骨造、神戸市の内部公開の案内は鋳鉄製、兵庫県は鉄製と記し、呼称がそろわない。
- 登録年月日について、国指定文化財等データベースは1998年9月2日とし、文化庁の近代の文化遺産のページは1998年9月25日と記す。
- 現存最古の鉄造灯台という評価について、文化庁・神戸市・兵庫県はこの灯台を挙げ、燈光会と土木学会関東支部新潟会は明治28年点灯の姫埼灯台を挙げる。
- 塔の高さについて、国指定文化財等データベースは17メートル、神戸市の解説資料は地上から塔頂まで約15.75メートル、神戸新聞は約16メートルと記す。
- 明治17年の改築後の色について、神戸市の土木遺産のページは赤色燈台と記し、同市文化財課の解説資料は白色と記す。
参考・出典
- 国登録文化財「旧和田岬灯台」の内部を一般公開します。(記者資料提供)
神戸市 - 『旧和田岬灯台』~現存する最古の鉄骨造灯台~(解説資料PDF)
神戸市文化スポーツ局文化財課 - 旧和田岬燈台(きゅうわだみさきとうだい)/神戸の土木遺産と歴史
神戸市 - 旧和田岬灯台の内部公開
神戸市 - 旧和田岬灯台(国指定文化財等データベース)
文化遺産オンライン(文化庁) - 旧和田岬灯台/近代の文化遺産の保存と活用
文化庁 - 灯台日本一くらべ(灯台日本一リスト)
公益社団法人 燈光会 - 姫埼灯台/日本の歴史的灯台
公益社団法人 燈光会 - 現存する明治期築造の灯台リスト
海上保安庁交通部計画運用課 - 神戸和田岬(ヒョーゴアーカイブス)
兵庫県 - 姫埼灯台 ~現存する日本最古の鉄造灯台~(佐渡市)
公益社団法人 土木学会関東支部新潟会 - <2>戦後廃灯、白から赤へ 国登録・旧和田岬灯台(神戸市須磨区)
神戸新聞NEXT
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 一ノ谷合戦の古戦場と戦の濱碑(鵯越の逆落としはどこか)(戦の痕跡・約1.6km)
- 消えた高倉山とおらが山(山、海へ行く)(地の痕跡・約2.1km)
- 清盛塚と琵琶塚(11メートル動いた十三重石塔)(地の痕跡・約5.0km)
- 兵庫運河と新川運河(和田岬の難所を避けるために掘られた運河)(水の痕跡・約5.2km)