湊川隧道(会下山を貫く煉瓦の河川トンネル)|何があった場所か
会下山の下には、かつて湊川の水が流れた煉瓦のトンネルが、掘られた場所のまま残る。兵庫県の会下山トンネル保存検討委員会の提言は、幅約7.3メートル、高さ約7.6メートルの馬蹄形断面で、側壁はイギリス積み、覆工の背面に栗石を密に詰めて固まりきらない地山に備えたと記す。川床にあたるインバートには煉瓦の上に花崗岩の切石を敷き、洗掘と摩耗への対策とした。兵庫県神戸土木事務所の展示資料は、坑内で見つかった銘板が長さ332間、最大幅24尺、最大高25尺と刻むこと、覆工の厚みが煉瓦3個分の約70センチ、全周239列で、隧道全体に400万個以上の煉瓦が使われたとみられることを記す。坑門の扁額は小松宮彰仁の揮毫で、上流側に「湊川」、下流側に「天長地久」とある。2000年に新湊川トンネルへ通水が移り、水路としての務めは終わった。国は2019年3月29日に登録有形文化財とし、土木学会は2011年度の選奨土木遺産に選んだ。上流側の坑口では保存団体が定期の一般公開の案内を掲げており、実施の有無や条件は主催者の案内による。それ以外の日に個人が中へ入ることはできない。
時のながれ
- 1897年(明治30) — 展示資料の年表は、兵庫県知事が明治29年12月に付替えを許可し、明治30年8月に断面形状が馬蹄形へ改められ、同年10月に起工したと記す。
- 1899年(明治32) — 神戸又新日報の同年5月24日の記事は、会下山の隧道工事を大倉土木組が請け負い、東西の両方から着手したと伝える。銘板は同年9月に導坑が貫通したと刻む。
- 1901年(明治34) — 竣工する。銘板は明治34年2月竣功と刻み、兵庫県と展示資料の諸元表は同年8月とする。
- 1927〜1928年(昭和2〜3) — 神戸有馬電気鉄道の工事にともない上流側坑門が約66メートル東へ移され、擬石の構造に変わった。
- 2000年(平成12) — 新湊川トンネルが12月に通水を始め、湊川隧道は水路の務めを終えた。
- 2011〜2019年(平成23〜31) — 土木学会が2011年度の選奨土木遺産に選び、2019年3月29日に国の登録有形文化財となった。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 文化庁の国指定文化財等データベースは、湊川隧道を登録有形文化財(建造物)とし、登録番号を28-702、登録年月日および登録告示年月日を2019年3月29日、構造及び形式等を煉瓦造及び石造・延長400メートル、員数を1基、所在地を兵庫県神戸市兵庫区会下山町三丁目地先から湊川町八丁目地先、所有者を兵庫県と記載する。
- 文化庁が2018年11月16日付で公表した登録有形文化財(建造物)の登録についての資料は、答申が行われた185件の一覧に湊川隧道を挙げ、建設年代を明治34年・昭和3年増築・平成12年改修、分類を土木の治山治水、登録基準を再現することが容易でないものと記載する。
- 兵庫県神戸土木事務所の資料は、平成30年11月16日に登録有形文化財に登録するよう文化審議会から文部科学大臣に答申され、平成31年3月29日に登録有形文化財に登録されたと記載する。同じ資料は、文化庁から交付された登録プレートを隧道入口の壁面に設置したと記載する。
- 兵庫県の会下山トンネル保存検討委員会の提言の要約は、覆工に煉瓦による竪積みと呼ぶ技法が用いられ、覆工背面に栗石が裏込材として密に施工されたこと、これが未固結地山に対応した独特の技法であることを記載する。同じ資料は、インバート部が煉瓦の上に花崗岩の切石を敷き詰めた構造で、洗掘と摩耗への対策がなされたと記載する。
- 同じ提言の要約は、工事の計画と設計に沖野忠雄と瀧川釼二が深く関わったこと、明治29年の設計で平均流速の算出にクッター公式が使われ、わが国では先進的な事例と位置づけられることを記載する。
- 兵庫県神戸土木事務所が2010年3月にまとめた展示資料は、隧道の中ほどで見つかった銘板に「湊川隧道 長三百三十二間 最大幅二十四尺 最大高二十五尺」と刻まれ、明治31年8月に東口起工、同年10月に西口起工、明治32年9月に導坑貫通、明治34年2月に竣功と記されると記載する。同じ資料は、この銘板が現在は補強コンクリートの中に埋まって見ることができないこと、この銘板の発見が湊川隧道という名称の根拠になったことを記載する。
- 同じ展示資料は、側壁がイギリス積み、アーチ部が長手積み、天井部の一部が竪積みであること、覆工の厚みが煉瓦の長手方向に3個分の約70センチ、全周の列数が239列で、隧道全体で少なくとも400万個以上の煉瓦が使われたと記載する。煉瓦の産地は表面の刻印などから泉州地方、インバートの切石は岡山県の北木島をはじめ瀬戸内海の複数の産地と推定されると記載する。
- 同じ展示資料は、インバートの切石が横断方向に25列並び、A・B・Cの3つの型があって重量がそれぞれ約270キログラム、約340キログラム、約100キログラムであると記載する。
- 同じ展示資料は、神戸又新日報の明治32年5月24日の記事を引き、会下山隧道の工事を大倉土木組が請け負って東西の両方から着手したと記載する。同じ資料は、大成建設の東京本社にあった明治期の工事記録が関東大震災で焼失したと記載する。
- 湊川隧道保存友の会の案内は、受付が上流側入口の神戸市兵庫区湊川町九丁目にあること、入場料が無料であること、公開区域が連絡通路を含めて約250メートルであることを記載する。同じ案内は、定期の一般公開日以外の見学申込みが社会的・歴史文化的・学術的な学習を目的とする団体を対象で、個人の申込みを受け付けないと記載する。
そのため、このページではこうしています
- 地図の位置は、兵庫県と保存団体がそろって案内する上流側入口の住所である神戸市兵庫区湊川町九丁目に置いた。隧道そのものは会下山の内部を通るため、地上の一点で代表させた形になる。
- 定期の一般公開について、日時や定員は変わりうるため、公開文には具体的な日程を載せず、実施の有無や条件は主催者の案内によると示した。
- 隧道の内部は管理された空間であり、公開日以外に個人が立ち入ることはできない。周辺は住宅地であるため、来訪の際は周囲への配慮が求められる。
- 川の付け替えという出来事そのものと、埋め立てられた旧河道の跡地については別の地点で扱っているため、ここでは構造物としての隧道に絞った。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 何を基準に日本で最初の河川トンネルとするかを説明した記述は、いずれの公的資料にも見あたらなかった。文化庁は我が国最初の河川隧道とし、兵庫県はわが国最初の近代河川トンネルとし、神戸市は日本初の近代的な河川トンネルといわれると記す。近代という限定の有無が資料により異なる。
- 経済産業省が公表した近代化産業遺産群33および続33の一覧に、湊川隧道の名は見あたらなかった。
- 明治期の工事記録が関東大震災で焼失したと展示資料が記すため、施工の詳細を伝える一次記録には行き着かなかった。
- 現在保存されている区間がどこからどこまでかを距離で明示した公的な資料には行き着かなかった。
- 延長について、展示資料は銘板の332間にあたる604メートルを竣工当初とし、増築後を670メートルとする。兵庫県の提言の要約は竣工当初を620メートルとし、保存団体の案内は約600メートルとし、文化庁の登録は400メートルとする。数値が一致しない。
- 竣工の月について、兵庫県と展示資料の諸元表は明治34年8月とする一方、展示資料が載せる銘板と提言の本文は明治34年2月とする。
- 上流側坑門の移設の年について、兵庫県の提言の要約は昭和2年の神戸有馬電気鉄道の工事にともなうものとし、土木学会は昭和3年の増築とする。移された扁額に添えられた記は昭和3年3月と記されると展示資料は記す。
- 下流側坑門の様式について、兵庫県の提言の要約はネオ・ルネッサンス風とし、展示資料はゴシック様式とし、保存団体の案内はルネサンス様式とする。
- 改修の年について、文化庁の登録は平成12年改修とし、土木学会は平成14年改修とする。
参考・出典
- 湊川隧道(文化遺産オンライン)
文化庁 - 湊川隧道(国指定文化財等データベース)
文化庁 - 登録有形文化財(建造物)の登録について
文化庁 - 会下山トンネル保存検討委員会の提言文(要約)
兵庫県神戸県民センター神戸土木事務所 - 湊川隧道について
兵庫県神戸県民センター神戸土木事務所 - 国登録有形文化財に登録
兵庫県神戸県民センター神戸土木事務所 - 新湊川トンネルの概要
兵庫県神戸県民センター神戸土木事務所 - 湊川隧道(選奨土木遺産)
公益社団法人土木学会 - 湊川隧道のさらに詳しい歴史・文献資料
兵庫県神戸県民局神戸土木事務所 - 湊川隧道とは
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近くの痕跡
- 熊野神社と福原京の方位(王城鎮護と伝わる社は、どの方角にあるのか)(方位の痕跡・約504m)
- 旧湊川の付け替え跡(新開地・湊川公園)(水の痕跡・約667m)
- 福原京跡(雪見御所旧跡)(地の痕跡・約1.1km)
- 烏原貯水池と旧烏原村の石臼(立ヶ畑堰堤)(水の痕跡・約1.2km)