厳島神社と渦輪(兵庫の弁天さん)|何があった場所か
神戸市兵庫区永沢町に鎮座する厳島神社は、治承4年(1180)に平清盛が安芸国の厳島神社を勧請して創建したと伝わる社である。兵庫弁天とも呼ばれ、清盛ゆかりの七弁天のうち外弁天にあたる。外の字は兵庫津の域外にあったことによると、神戸市兵庫区役所は説明する。この社で目を引くのは、建立の理由が公的な資料の間で揃わない点である。兵庫区役所の散策マップ「福原京」は、福原遷都と大輪田泊修築に際し、事業の成就と兵庫の地の繁栄を祈願したものと記す。同じ兵庫区役所が公開する「大輪田の泊と平清盛の時代」は、この付近が湊川の旧川筋にあたり、地下水も湧いて渕のようになった土地で、昔は渦輪(うずわ)と呼ばれたとし、清盛はそこに治水のため社を建てたと記す。兵庫県教育委員会が平成23年度にまとめた「平清盛と源平合戦関連文化財群 調査票」は、厳嶋神社縁起を引き、兵庫の港に築島を築くときに受けた夢告により、港の守り神として祀ったと記す。兵庫県神社庁は、兵庫津の発展と住民の繁栄を祈願したものとする。港、治水、築島。いずれも清盛と兵庫津を結ぶ話でありながら、重心の置き方は資料ごとに違う。渦輪という古い呼び名は、この一帯がかつて水に近い土地であったことの手がかりでもある。
時のながれ
- 1173年(承安3) — 平清盛が大輪田泊に経ヶ島を築いたと伝わる。
- 1180年(治承4)6月 — 安徳天皇らが福原へ移る。福原遷都。
- 1180年(治承4) — 平清盛が安芸国の厳島神社を勧請し、当社を創建したと伝わる。
- 1180年(治承4)11月 — 京都へ還都し、福原の都は半年ほどで終わる。
- 2012年(平成24)3月 — 兵庫県教育委員会が平清盛と源平合戦関連文化財群の調査票を公開する。
- 2024年(令和6)3月 — 神戸市兵庫区役所の散策マップ福原京編が改訂される。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 兵庫県神社庁の神社検索は、所在地を神戸市兵庫区永沢町四丁目、主祭神を市杵嶋姫命、通称名を兵庫の弁天さん、例祭日を5月16日と記載する。
- 同じ兵庫県神社庁の由緒は、治承4年(1180)に平清盛が兵庫津の発展と住民の繁栄を祈願し、平家一門の氏神として崇敬した安芸国厳島神社を勧請して創建したと記載する。
- 神戸市兵庫区役所の散策マップ「福原京 平家ゆかりの地を訪ねて」は、平清盛による福原遷都と大輪田泊修築に際し、事業の成就と兵庫の地の繁栄を祈願して勧請したと記載する。
- 神戸市兵庫区役所のページ「大輪田の泊と平清盛の時代」は、この付近が湊川の旧川筋にあたり地下水も湧出して渕のようになったと伝わる土地で、昔は渦輪(うずわ)と呼ばれ、平清盛はそこに治水のため社を建立したと記載する。
- 同じページは、当社を兵庫七弁天の一つ外弁天とし、外の字は兵庫津の域外にあったことによると記載する。
- 兵庫県教育委員会が平成23年度事業でまとめた「平清盛と源平合戦関連文化財群 調査票」は、厳嶋神社縁起を引き、平清盛が兵庫の港に築島をつくるとき夢に天女が現れ、港の守り神として祭神を祀り、龍燈が西方より飛び出して松の枝に掛かった地を厳島弁才天女社としたと記載する。
- 同じ調査票の例言は、掲載情報が県内の市町教育委員会からの提供を基本とし、取りまとめを兵庫県教育委員会文化財室が行ったと記載する。
- 境内には淡島神社、稲荷社、胞衣塚、針塚があり、毎年2月8日に針供養が行われると兵庫県神社庁は記載する。兵庫区役所の散策マップも当社の針供養を挙げる。
- 兵庫県教育委員会が公開する令和7年4月1日現在の国指定・県指定・国登録・県登録の文化財一覧に、当社の名は見あたらない。
- 4つの資料は、創建を治承4年(1180)とし、勧請元を安芸国の厳島神社とする点では一致する。
そのため、このページではこうしています
- 4つの説のうち一つを正しいものとして選ぶ根拠を得られなかったため、資料ごとの記述を並べて示した。
- 経ヶ島の築造や松王丸の人柱、旧湊川の付け替えは別の地点の話題であるため、ここでは当社に固有の事柄を軸にした。
- 社名は資料により厳島・厳嶋・嚴島と表記が分かれる。ここでは兵庫県神社庁の見出しに合わせて厳島神社とした。
- 龍燈の伝承は兵庫県教育委員会の調査票にも載るため、伝承として採った。その松のその後については資料が足りない。
- 地図の位置は、兵庫県神社庁が公開する当社の地図データの座標を用い、国土地理院の住所データで永沢町四丁目にあたることを確かめたうえで置いた。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 龍燈が掛かった松が戦前まで枯木として残り、のちに焼失したという記述は事典系の記事に見えるが、公的な資料で裏づけを得られなかった。
- 元禄5年(1692)の指出帳に厳島弁天女社、増福寺支配、除地とあるという記述も同様で、原典にあたれなかった。
- 神戸市の指定文化財としての指定の有無は、市が公開する一覧が分類別の件数表のみであったため確認できなかった。
- 現在の社殿が建てられた年代について、記載のある資料に行きあたらなかった。
- 渦輪という呼び名の初出や、それを記す古い文献の名は確認できなかった。
- 建立の理由について、兵庫区役所の散策マップは遷都と大輪田泊修築の成就祈願、同じ兵庫区役所のページは渦輪の地の治水、兵庫県教育委員会の調査票は縁起にもとづく港の守り神、兵庫県神社庁は兵庫津の発展と住民の繁栄の祈願と、資料ごとに説明が異なる。
- 治水と渦輪に言及するのは、いま見あたるかぎり神戸市兵庫区役所のページのみである。他の3つの資料に渦輪の語は出てこない。
- 経ヶ島の築造年について、兵庫区役所の散策マップの年表は承安3年(1173)とし、同じ区役所のページは承安年間(1171〜75年)とする。
参考・出典
- 厳島神社(兵庫県神社庁 神社検索)
兵庫県神社庁 - 大輪田の泊と平清盛の時代
神戸市兵庫区役所 - C.福原京〜平家ゆかりの地を訪ねて〜
神戸市兵庫区役所 - B.大輪田泊〜清盛の日宋貿易の港を訪ねて〜
神戸市兵庫区役所 - 兵庫区歴史さんぽ道
神戸市兵庫区役所 - 平清盛と源平合戦関連文化財群 調査票
兵庫県教育委員会 - 兵庫県内の文化財一覧
兵庫県教育委員会文化財課
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 旧湊川の付け替え跡(新開地・湊川公園)(水の痕跡・約652m)
- 兵庫大仏と金属供出の痕跡(能福寺)(戦の痕跡・約768m)
- 経が島(平清盛が大輪田泊に築いたと伝わる人工島の推定地)(地の痕跡・約863m)
- 湊川の戦いの古戦場と楠木正成墓碑(湊川神社)(戦の痕跡・約935m)