伝豊太閤湯山御殿跡(神戸市立太閤の湯殿館)|何があった場所か
有馬温泉の南、愛宕山の山腹に建つ極楽寺では、庫裏の床下に残る石組みが「太閤の湯殿あと」と語り伝えられてきた。神戸市教育委員会文化財課が庫裏の建て替えなどに伴い1996年12月から1998年12月まで四次にわたって行った発掘調査は、この石組みが元禄8年(1695)の火災層を掘り込んで積まれたもので、豊臣秀吉の御殿とは関わらないと記す。そして同じ報告書は、その石垣のさらに下から安土桃山時代の湯屋の遺構が現れたと記す。確認されたのは、半地下式の蒸し風呂二基、石積みで方形の枠を作る岩風呂二基(内法一辺およそ2.1メートル、深さ65センチメートル、底面には酸化鉄が硬く沈着)、湯を引く樋と泉源、直径およそ3メートルの池を中心とする庭園、そして帯曲輪の石垣である。出土した瓦の一部は大坂城出土の軒丸瓦と同じ笵で作られたものだと大阪城天守閣のコラムは記す。同じ報告書の年譜は、御殿が文禄3年(1594)に町屋65軒を退去させて造成されたこと、慶長元年(1596)閏7月の大地震で大破したこと、慶長3年(1598)に再建されたものの同年5月の湯治は果たされず8月に秀吉が没したことを記す。掘り出された湯屋は、主が入らないままのものだったことになる。神戸市は1999年(平成11)4月施行の条例で、伝湯山御殿の遺構と出土品を保存し公開する神戸市立太閤の湯殿館を設けた。館は蒸し風呂と岩風呂を出土した位置のまま露出展示し、庭園は遺構の真上ちょうど1メートルの高さに復元したと報告書は記す。神戸市文化財保存活用地域計画の一覧は、ここを市指定史跡「伝豊太閤湯山御殿跡」として掲げる。
時のながれ
- 1583年(天正11) — 秀吉が有馬温泉を訪れたことを公式な文書で確認できる最初の年であると発掘調査報告書は記す。以後1594年までに都合九回を数えるという。
- 1594年(文禄3) — 町屋65軒を退去させて湯山御殿を造成させたと同報告書の年譜は記す。同年12月には御殿に入っている。
- 1596年(慶長元) — 閏7月の大地震により湯山御殿が大破したと同報告書は記す。倒壊した御殿には化粧の間・湯殿・雪隠・湯屋・数寄屋などがあったと有馬温泉史料所収の古文書から知られるという。
- 1598年(慶長3) — 御殿は再建されたが、5月に予定された湯治は体調と天候により果たされず、同年8月18日に秀吉が没したと同報告書は記す。
- 江戸時代初期 — 出土した茶碗類から、湯屋に関わる遺構が埋め立てられたのはこの時期とみられ、整地の後に浄土宗の極楽寺と念仏寺が建てられたと同報告書は考える。
- 1695年(元禄8) — 極楽寺が火災に遭う。床下に伝えられてきた石組みは、この火災層を掘り込んで積まれていたと調査は記す。
- 1781年(天明元) — 現在に伝わる極楽寺の庫裏が再建されたと同報告書は記す。
- 1996年〜1998年 — 神戸市教育委員会文化財課が庫裏の建て替えなどに伴い四次にわたる発掘調査を実施し、湯屋・庭園・帯曲輪の遺構を確認したと全国遺跡報告総覧の記録は示す。
- 1999年(平成11) — 神戸市立太閤の湯殿館条例が4月1日に施行され、遺構と出土品を保存し公開する施設が設けられたと神戸市例規集は記す。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 全国遺跡報告総覧に収録された『ゆの山御てん 有馬温泉・湯山遺跡発掘調査の記録』(神戸市教育委員会文化財課、2000年3月31日発行)で、調査期間が1996年12月20日から1998年12月24日までの四次にわたること、調査の原因が庫裏の建て替え・個人住宅の建設・遺跡範囲の確認・泉源の改修であることを確認した。
- 同報告書の本文で、極楽寺庫裏の床下にあり「湯殿あと」と伝えられてきた石組みが、元禄8年(1695)の火災層を掘り込んで積まれており、秀吉の湯山御殿とは関わらないと判明したこと、その石垣の下から湯殿に関わる遺構が確認されたことを読み取った。
- 同報告書の記載で、遺構面が地表面(天明元年=1781年再建の庫裏)、安永2年(1773)の火災面、元禄8年(1695)の火災面、安土桃山時代から江戸時代初期の面(湯山御殿)、それ以前の面という重なりであることを確認した。
- 同報告書で、蒸し風呂が半地下式で床面積およそ一坪であり入口となる斜路をもつこと、岩風呂が内法一辺およそ2.1メートル・深さ65センチメートルで底面に酸化鉄が硬く沈着し、一方は岩肌の裂け目を伝って湯が落ちる造作であること、庭園の池が外まわり直径およそ3メートルで導水部と小さな滝と排水溝が一体であることを確認した。
- 同報告書の遺跡の整備の節で、蒸し風呂一つと岩風呂一つが館内で現地保存かつ露出展示され、他の湯屋関連の遺構は埋め戻して地下保存とされ、庭園が遺構の真上1メートルの高さに同様の園池と石組み溝と石垣を築いて復元されたこと、庭木の黒松やつつじが花粉分析の成果に基づくことを確認した。
- 神戸市例規集で、神戸市立太閤の湯殿館条例が平成11年3月29日条例第42号として定められ、第1条が伝湯山御殿の遺構および出土品その他歴史資料の保存と活用を目的に掲げること、附則により平成11年4月1日から施行されたことを確認した。
- 神戸市の施設案内ページで、正式名称が神戸市立太閤の湯殿館、所在地が神戸市北区有馬町1642であることを確認した。
- 神戸市文化財保存活用地域計画の資料編にある神戸市指定等文化財一覧の史跡の欄に、北区の伝豊太閤湯山御殿跡が市指定として掲げられていることを確認した。
- 兵庫県教育委員会が公開する令和7年4月1日現在の国指定文化財一覧および県指定文化財一覧の本文を通して照合し、湯山の語がいずれにも現れないことを確認した。国と県の指定ではないと判断できる。
- 同館の公式案内ページで、蒸し風呂の遺構を出土した状態で展示しその直上に復元模型を置くこと、岩風呂の遺構を出土した状態で展示すること、龍紋の棟飾り瓦を復元展示することを確認した。
- 報告書の年譜で、秀吉が有馬温泉を訪れたことを公式な文書で確認できるのが天正11年(1583)から文禄3年(1594)までの都合九回であること、文禄3年(1594)に町屋65軒を退去させて御殿を造成させたこと、慶長元年(1596)閏7月の大地震で大破したこと、慶長3年(1598)に再建されたものの5月の湯治の計画は果たされず同年8月18日に秀吉が没したことを確認した。
- 大阪城天守閣が公開する豊臣石垣コラムで、湯山御殿から出土した瓦と大坂城から出土した軒丸瓦が同じ笵で作られたものであることを確認した。
- 報告書のまとめの節で、御殿建物の礎石は検出されておらず、池の構造や地形から御殿本体は極楽寺本堂から念仏寺のある地点にあったと推定していること、湯屋関連の遺構が埋め立てられたのは出土した茶碗類から江戸時代の初期とみられることを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 造営年は、発掘した当事者である神戸市教育委員会の報告書の本文と年譜が一致する文禄3年(1594)を採り、目録側の記述は食い違いとして残した。
- 地震の年は、干支と西暦が整合する1596年(慶長元)として示した。
- ピンは現地の位置を示す複数の地図情報が一致する地点に置き、報告書の目録にある数値は採らなかった。
- 床下の石組みと湯屋の遺構の関係は、報告書の結論をそのまま資料の言葉として示した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 市指定史跡としての指定年月日。神戸市の公表資料に日付を示す記述が見あたらず、情報サイトが1997年10月とするのみで裏づけが取れなかった。
- 館の開館日そのものの日付。条例の施行日が1999年4月1日であることは確認できたが、開館の期日を示す市の資料は見あたらない。
- 庫裏の床下にあった江戸時代の石組みが本来どのような施設であったか。報告書も用途を特定していない。
- 御殿の造営年について、報告書の本文と年譜および大阪城天守閣のコラムは文禄3年(1594)とするが、全国遺跡報告総覧の特記事項は1596年と1598年に建設されたと記す。
- 大阪城天守閣のコラムは、同じページの中で伏見大地震を慶長元年(1596)とする箇所と慶長元年(1595)とする箇所を併せ持つ。
- 全国遺跡報告総覧が自動で生成した緯度経度は、現地の位置より南へおよそ2キロメートル離れている。
参考・出典
- ゆの山御てん 有馬温泉・湯山遺跡発掘調査の記録(全国遺跡報告総覧・本文PDF収録)
神戸市教育委員会文化財課/奈良文化財研究所 - 神戸市立太閤の湯殿館条例(平成11年3月29日条例第42号)
神戸市(神戸市例規集) - 神戸市立太閤の湯殿館(施設案内)
神戸市 - 神戸市文化財保存活用地域計画 資料編(神戸市指定等文化財一覧・史跡)
神戸市文化スポーツ局文化財課 - 神戸の遺跡:北区:湯山遺跡
神戸市埋蔵文化財センター(現行URLは閲覧不可のためWayback Machine 2023-06-08保存版) - 豊臣石垣コラム Vol.26 有馬湯山御殿と大坂
大阪城天守閣(大坂城豊臣石垣公開プロジェクトより移設) - 太閤の湯殿館(有馬温泉 金の湯・銀の湯 公式サイト内)
有馬温泉 金の湯・銀の湯(神戸市の施設案内が公式ページとして案内)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 阪神大水害の水災紀念碑(住吉川・落合橋)(水の痕跡・約7.1km)
- 摩耶山天上寺の旧境内跡(摩耶山史跡公園)(地の痕跡・約8.2km)
- 石屋川の天井川と旧石屋川隧道跡(水の痕跡・約8.5km)
- 御影公会堂(神戸大空襲で外壁を残して焼けた建物)(戦の痕跡・約8.8km)