摩耶山天上寺の旧境内跡(摩耶山史跡公園)|何があった場所か
摩耶山の南斜面、標高およそ614メートルの平坦地に、石段と礎石だけが残る一角がある。神戸市灘区は、昭和51年(1976年)に摩耶山天上寺が火災に見舞われ、山上の草創の地へ遷寺した跡地を史跡公園として整備したと記す。神戸市が公開する川西英・神戸百景の解説は、公園内に礎石などがほぼ焼失前の姿で残ること、盛り土の部分にあった摩耶夫人堂も今は礎石を残すのみであることを伝える。兵庫県立歴史博物館は、昭和51年の放火により寺がことごとく焼失し、山の中腹には基壇を残すのみと記す。神戸市立中央図書館の広報紙も、1976年1月に放火で七堂伽藍が全焼したと伝える。ただし寺自身の縁起は、同じ火災を不慮の大火と記す。創建は大化2年(646年)に法道仙人が開いたと伝わり、神戸市立中央図書館の資料解説は、開創されたと伝える古刹という言い方をする。山名も、弘法大師が日本へもたらした釈迦の生母・摩耶夫人の像を安置したことに由来すると伝えられる形で紹介される。神戸市灘区は、この一帯が『太平記』に登場する摩耶山城の史跡でもあると記す。現在の天上寺は同じ摩耶山の別の峰にあり、この跡地から北へおよそ950メートル離れる。表参道であった上野道の長い石段は今も跡地へ続き、神戸市の観光案内は、火事が原因で枯れた摩耶の大杉がなお存在感を放つと記す。
時のながれ
- 大化2年(646年) — インドから渡来した法道仙人が開創したと伝える古刹であると神戸市立中央図書館の資料解説は記す。
- 平安時代初期 — 唐から帰国した弘法大師が釈迦の生母・摩耶夫人の像を安置したことから、寺のある山を摩耶山と呼ぶようになったと伝えられると兵庫県立歴史博物館は記す。
- 南北朝期 — この一帯は『太平記』に登場する摩耶山城の史跡でもあると神戸市灘区は記す。
- 1976年(昭和51)1月 — 放火により七堂伽藍が全焼したと神戸市立中央図書館の広報紙は記す。
- 1976年(昭和51)1月 — 同じ火災を、不慮の大火によって七堂伽藍が全焼全壊したと天上寺の縁起は記す。
- 火災後 — 山上の草創の地へ遷寺した跡地を史跡公園として整備したと神戸市灘区は記し、現在は礎石と基壇を残すのみと兵庫県立歴史博物館は記す。
- 2018年(平成30)9月 — 旧境内跡の親子杉が台風20号の強風で倒れたと神戸市の観光案内は記す。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 神戸市灘区の灘百選の史跡・遺構の項で、昭和51年(1976年)の火災で摩耶山天上寺が山上の草創の地へ遷寺し、その跡地が史跡公園として整備されたこと、『太平記』に登場する摩耶山城の史跡でもあることを確認した。
- 神戸市が公開する川西英・神戸百景の解説ページで、現在この場所が摩耶山史跡公園であること、1976年(昭和51)1月の火災で全焼し礎石などがほぼ焼失前の姿で残ること、摩耶夫人堂跡が礎石を残すのみであることを確認した。
- 兵庫県立歴史博物館のひょうご歴史の道で、昭和51年の放火により寺がことごとく焼失し、山の中腹には基壇を残すのみであること、創建と山名の由来がいずれも寺伝であることを確認した。
- 神戸市立中央図書館の広報紙で、1976年1月に放火によって七堂伽藍が全焼したこと、旧境内がケーブル山頂駅を少し下った場所にあり山門と石造りの長い階段が残ることを確認した。
- 神戸市経済観光局が案内する上野道のページで、上野道が旧天上寺への表参道であること、史跡公園へ続く長い参道石段があること、摩耶の大杉が火事が原因で枯れたこと、親子杉が平成30年9月の台風20号で倒れたことを確認した。
- 奈良文化財研究所の全国文化財総覧で、摩耶山城が神戸市灘区摩耶山に所在する南北朝期の城館として登録され、日本城郭大系と『太平記』を典拠とし、データの管理機関が神戸市であることを確認した。
- 神戸市立中央図書館の貴重資料デジタルアーカイブズの資料解説で、天上寺が大化2年(646)に開創されたと伝える古刹と紹介されていることを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 出火原因は放火と不慮の大火の両方の書きぶりを併記して示した。
- 火災の時期は公的な資料で確認できる範囲に合わせ、1976年1月までとして示した。
- 遺構は公的な資料で確認できた礎石・基壇・石段・石柱・摩耶の大杉のみを示した。
- 現在の寺と旧境内跡の位置関係は、資料の記述と座標から測った距離の両方を踏まえて北へおよそ950メートルと示した。
- ピンは公開されている地図情報の座標と、国土地理院の標高の値が資料の記述と合う地点に置いた。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 火災の正確な月日。公的な資料はいずれも昭和51年1月までの記載で、それより細かい日付は見あたらない。
- 出火原因の詳細。賽銭泥棒の関与という説明は公的な資料では見あたらない。
- 史跡公園の整備時期と管理主体。神戸市都市公園条例の都市公園一覧に同名の公園は見あたらない。
- 焼け残ったとされる仁王門の現存。公的な資料は山門とのみ記す。
- 旧境内跡に句碑があるかどうか。公的な資料が挙げる与謝蕪村の句碑は現在の境内のものである。
- 出火原因について、神戸市立中央図書館と兵庫県立歴史博物館は放火と記すが、天上寺の縁起は不慮の大火と記す。
- 公園の名称が、神戸市灘区は摩耶史跡公園、神戸市経済観光局の案内は摩耶山史跡公園で揺れている。
- 現在の寺の位置を、兵庫県立歴史博物館は摩耶山の頂上の海抜715メートル、灘区は摩耶山頂と記すが、座標で測ると旧境内跡の北およそ950メートルにあたり、摩耶山の三角点とは別の峰になる。
参考・出典
- 灘百選・史跡/遺構②(摩耶史跡公園)
神戸市灘区総務部地域協働課 - 未公開写真編 昭和36年1月16日 4. 摩耶山天上寺(川西英 神戸百景)
神戸市 - ひょうご歴史の道 名所めぐり 天上寺
兵庫県立歴史博物館(兵庫県教育委員会) - KOBEの本棚 第39号 ランダムウォークインコウベ 摩耶山の足、ケーブル再開
神戸市立中央図書館(現行URLは表示できず、Wayback Machine 2026-02-14保存版) - 摩耶山 上野道(アクセス!神戸六甲山)
神戸市経済観光局観光企画課 - 灘百選・神社/仏閣④(摩耶山天上寺)
神戸市灘区総務部地域協働課 - 灘百選・山(摩耶山)
神戸市灘区総務部地域協働課 - 全国文化財総覧 摩耶山城/摩耶城
奈良文化財研究所 - 貴重資料デジタルアーカイブズ 摂津国佛母摩耶山忉利天上寺
神戸市立中央図書館 - 大本山 摩耶山天上寺(施設情報)
一般財団法人神戸観光局 - 摩耶山天上寺 縁起
摩耶山天上寺(公式サイトはhttp接続のみのため、Wayback Machine 2026-02-18保存版)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
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