和田岬砲台(造船所の中に残る幕末の海防砲台)|何があった場所か
神戸市兵庫区の和田岬に、幕末の砲台が1基残る。文化庁の国指定文化財等データベースは、和田岬砲台を史跡とし、指定年月日を1921年(大正10年)3月3日、解説を「江戸幕府ニテ造営セシモノニテ文久三年工ヲ起シ元治元年成レルモノナリ」と記す。神戸市教育委員会が編集した冊子は、幕府が今津・西宮・川崎(湊川)・和田岬の4か所に砲台を築くことが決まり、和田岬と川崎の砲台は元治元年(1864)8月に完成したと記す。同じ冊子は、勝安房『陸軍歴史』によるとして、勝海舟の命により佐藤与之助が設計し、工事請負者の嘉納次郎作が1年3か月という短期間で完成させたと記す。石造の外郭に木造2階を収めた高さ約11メートルの円筒形で、下から6段目から7段目にかけて砲眼が11か所ある。三菱重工業は、実際に大砲が装備されることはなかったと記す。砲台は同社神戸造船所の敷地内にあり、外から自由に立ち入ることはできない。
時のながれ
- 文久3年(1863) — 5月に工事が始まったと冊子は記す。
- 元治元年(1864) — 8月に和田岬と川崎の砲台が完成したと冊子は記す。
- 明治5年(1872) — 陸軍省が払い下げを図ったが、兵庫県令が保存を決めたと冊子は記す。
- 明治30年(1897) — 三菱合資会社に買収されたと冊子は記す。
- 大正10年(1921) — 3月3日に国の史跡に指定されたと文化庁は記す。
- 平成26年(2014) — 3月末に平成の大修理が完工したと三菱重工業は記す。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 文化庁の国指定文化財等データベースは、名称を和田岬砲台、種別を史跡、指定年月日を1921年(大正10年)3月3日、所在地を兵庫県神戸市兵庫区和田岬とし、解説に「江戸幕府ニテ造営セシモノニテ文久三年工ヲ起シ元治元年成レルモノナリ」と記載する。
- 神戸市教育委員会が編集し神戸市兵庫区役所が2011年12月に発行した冊子は、江戸幕府が異国船の脅威に対する摂海の沿岸部の軍事強化のため沿岸の砲台築造を建議し、今津・西宮・川崎(湊川)・和田岬の4か所の砲台築造が決定したこと、和田岬と川崎の砲台が元治元年(1864)8月に完成したことを記載する。
- 同じ冊子は、勝安房『陸軍歴史』によるとして、和田岬砲台は勝海舟の命により佐藤与之助が設計し、文久3年(1863)5月から工事請負者の嘉納次郎作により工事期間1年3か月という非常に短期間で完成したと記載する。
- 同じ冊子は、砲台が高さ約11メートルの円筒形で、外壁は延べ10段の石積みとし、下から6段目から7段目にかけて大砲の射撃口である砲眼が11か所と明り取り窓が1か所あること、内部は木造2階建で1階中央に井戸があることを記載する。
- 同じ冊子は、砲台として使用されることなく明治5年(1872)に陸軍省が払い下げを行おうとしたが、当時の兵庫県令が保存を決定したこと、明治29年(1896)に和田倉庫、翌年に三菱合資会社に買収されたことを記載する。あわせて、今津と川崎の砲台は失われ、現存するのは西宮と和田岬の2基であるとする。
- 同じ冊子は、大正から昭和の初めにかけて行われた屋根の改修工事以外は大規模な修理が行われず内部の木造部分の腐朽が著しかったこと、平成19年11月から国庫補助事業として国・兵庫県・神戸市の補助を受け三菱重工業株式会社が調査工事と修理工事を行ったことを記載する。
- 三菱重工業は、外郭部が石造、内部が木造2階建という構造で、石造部分は瀬戸内海の塩飽諸島の御影石を、木造部位は神戸の布引・鉄拐等の山から伐採したけやき材を使用したと記載する。1階に弾薬庫と砲身冷却用の井戸があり、2階と屋上にそれぞれ11門、16門の砲門が設けられたが、実際に大砲が装備されることはなかったとする。
- 三菱重工業は、砲台の周囲に東西約60メートル、南北約70メートルにわたって星型の土塁が築かれていたこと、平成の大修理を2009年から行い2014年3月末に完工したことを記載する。
- 兵庫県教育委員会の国指定文化財一覧は、和田岬砲台の指定年月日を大正10年3月3日、面積を342.77平方メートル、所有者を三菱重工業株式会社、所在地を神戸市兵庫区和田崎町1-1-1と記載する。
そのため、このページではこうしています
- 砲台は三菱重工業神戸造船所の敷地内にあり、外から自由に立ち入ることはできない。
- 同社の公式サイトは、事前の申し込みによる見学会の案内を掲載している。実施の有無や条件は主催者の案内による。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 三菱重工業と神戸市はいずれも兵庫県下で第1号の史跡と記すが、兵庫県教育委員会の一覧では五色塚古墳なども同じ大正10年3月3日付で指定されており、順位の根拠となる指定告示の原文には到達できなかった。
- 屋根の改修時期について、神戸市の記者発表資料は大正15年から昭和元年、前記の冊子は大正15年10月から昭和2年1月とし、西暦の表記に1年の差がある。
- 設計者について、三菱重工業と神戸市の記者発表資料はいずれも設計は勝海舟とするが、神戸市教育委員会が編集した冊子は勝安房『陸軍歴史』を典拠に、勝海舟の命により佐藤与之助が設計したと記載する。
- 内部の木材について、三菱重工業はけやき材とするが、前記の冊子は複数の樹種を挙げる。
参考・出典
- 国指定文化財等データベース 和田岬砲台
文化庁(公式) - 明治期における和田岬砲台(2018年保存版)
神戸市教育委員会編・神戸市兵庫区役所(公式・Internet Archive保存) - 和田岬砲台
三菱重工業株式会社(所有者・公式) - 兵庫県内の文化財一覧(国指定文化財一覧)
兵庫県教育委員会(公式) - 和田岬・湊川砲台(台場)関係資料
文化庁 文化遺産オンライン(所蔵:神戸市立博物館)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 清盛塚と琵琶塚(11メートル動いた十三重石塔)(地の痕跡・約1.8km)
- 兵庫運河と新川運河(和田岬の難所を避けるために掘られた運河)(水の痕跡・約1.8km)
- 経が島(平清盛が大輪田泊に築いたと伝わる人工島の推定地)(地の痕跡・約2.0km)
- 兵庫大仏と金属供出の痕跡(能福寺)(戦の痕跡・約2.1km)