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水 水の痕跡 資料確認済み

蹴上インクライン(琵琶湖疏水)|何があった場所か

位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-08-29

京都市上下水道局の資料によれば、琵琶湖疏水は東京遷都で衰退した京都を立て直すために計画され、第3代京都府知事の北垣国道が主唱し、工部大学校を出たばかりの田邉朔郎が主任技師を務めた。同局は、明治18年6月に着工し、明治23年に大津から鴨川合流点までが完成したと説明し、設計から施工まですべてを日本人の手で行った我が国最初の大土木事業だと述べる。蹴上では疏水の水面が下流側より高く、舟はそのままでは下れない。そこで蹴上船溜と南禅寺船溜を結ぶ全長約582メートルの傾斜鉄道が敷かれ、約36メートルの高低差を、舟を台車に載せたまま巻き上げて越えさせた。京都市の日本遺産の資料は、これが建設当時世界最長の傾斜鉄道だったと記す。動力は疏水の水で回る蹴上発電所の電気で、京都市上下水道局と琵琶湖疏水記念館は、同発電所を明治24年に動きだした日本最初の事業用水力発電所と説明する。京都市歴史資料館の資料は、インクラインの営業運転開始を発電所完成後の明治24年12月とする。同じ電気は町にも回った。同館の資料は、明治28年2月1日に京都電気鉄道が京都駅付近と伏見の間で営業を始め、日本初の路面電車が京都に生まれたと述べ、電力を疏水の水力発電に頼っていたため、元旦と毎月1日・15日の藻刈りの日は電車が定期休業になったと記す。舟運の衰退により、インクラインは昭和23年11月に運転を休止した。国立国会図書館の解説も、昭和23年の休止と昭和58年の京都市文化財指定を伝える。レールは一度取り外されたが昭和52年に復元され、いまも線路と、台車に載った三十石舟が置かれている。線路の下をくぐる歩行者用トンネルは、れんがを螺旋状に積んだ通称ねじりまんぽで、南北の出入口に北垣国道の扁額が掲げられている。国は平成8年6月19日、インクラインと疏水分線の水路閣を含む琵琶湖疏水を史跡に指定した。さらに令和7年8月27日の官報告示により、琵琶湖疏水施設として24か所が重要文化財に、うちインクラインと南禅寺水路閣を含む5か所が国宝になった。京都市は、近代の土木構造物としては初めての国宝だと説明する。

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