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岡崎(第4回内国勧業博覧会の跡地と平安神宮)|何があった場所か

位置精度: 町域 / 最終確認日: 2026-08-29

京都市左京区の岡崎一帯は、明治28年(1895)の第4回内国勧業博覧会の会場跡である。京都市左京区役所は、平安京の東にあたるこの地がかつて白河と呼ばれ、平安時代末期には院政が執り行われた白河殿のほか、法勝寺をはじめとする六つの寺院、いわゆる六勝寺の大伽藍が造営されたと記す。同区役所によれば、これらの建物は鎌倉時代にかけて焼失し、13世紀末に編まれたとみられる歴史書に岡崎の地名が現れる。京都市の都市史の資料は、博覧会当時の岡崎を水田とかぶら畑が広がる所であったとし、京都市勧業館の沿革も、聖護院大根や聖護院かぶらを生んだ農地であったと説明する。今も岡崎最勝寺町・円勝寺町・成勝寺町といった町名が、かつての寺の名を伝えている。国立国会図書館の資料は、会期を明治28年4月1日から7月31日、会場を平安神宮の南、会場面積を17万8千平方メートル、入場者数を1,136,695人と記す。京都市の資料も入場者を113万人をこえるとし、出品点数を16万9千点、美術館・工業館・農林館・器械館・水産館・動物館が建てられたとする。京都市の資料はまた、開催に合わせて京都電気鉄道が開業し、日本最初の市街電車が七条停車場から会場を経て疏水のほとりまで走ったと記す。平安神宮は、平安遷都1100年を期に明治28年3月15日に創建されたとし、社殿は平安京の正庁である朝堂院を約8分の5の規模で再現したもので、大極殿・応天門・蒼龍楼・白虎楼などは創建時の造営であると説明する。上京区千本丸太町に石碑が立つ平安宮の大極殿跡は平安京そのものの遺址であり、岡崎の社殿は明治の復元建築にあたる。会場跡には明治37年(1904)に岡崎公園が開かれ、その後も図書館・勧業館・美術館が建って文教地区となった。平安神宮へ続く道筋には、昭和天皇の即位の大礼を記念して平安講社が建てた朱の大鳥居が立ち、その南で疏水を渡る慶流橋を、平安神宮は博覧会会場の正門の橋として明治28年4月1日に開通したと記す。文化庁は平成27年(2015)10月7日、この一帯を京都岡崎の文化的景観として国の重要文化的景観に選定している。

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