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車石(旧東海道の牛車道)|何があった場所か

位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-08-29

京都と大津を結ぶ東海道は、琵琶湖の水運で大津に荷揚げされた米などを京へ運ぶ道であり、荷を積んだ牛車が日常的に往来した。大津市の文化財案内は、江戸時代の街道が土の道であったため雨が降ると地面がぬかるんで牛車の車輪が埋まり進めなくなること、それを防ぐために敷かれたのが車石であることを記し、逢坂山と日ノ岡峠という難所にこの石が敷かれたと説明する。大津市歴史博物館は、大津と京都の間3里(約12キロ)の道に両輪の幅に合わせて2列に石を敷く工事が約200年前に行われたとし、同館の展示目録には文化元年(1804)の大津・京都間道造絵図や石の切り出しに関する請書、文化2年(1805)の山科郷往還筋普請費用請取書が並ぶ。京都市が街道に立てた駒札も、東海道では幕末まで車の往来が禁じられていたが大津と京都の間だけは例外で、人馬の通る道と牛車の通る車道を分け、車道に舗石を並べて車石と呼んだと記す。山科区の旧東海道には、その石が形を変えて残る。京都市山科区役所の街道案内によれば、日岡のバス停の西方の道路脇には名号碑・題目碑・京津国道改良工事紀念碑が並び、題目碑の基礎には多くの車石が使われ、紀念碑の基壇にも深い轍の刻まれた車石が用いられている。京都市のいしぶみデータベースも、昭和8年(1933)建立のこの紀念碑について、3段の基壇に三条街道の車石の廃材が使われていると記す。旧街道が三条通に出合うあたりの石垣には、二条の轍と「旧舗石車石」と刻まれた碑も見える。四宮から追分にかけての旧街道では、街道沿いの石垣などに転用された車石が残るものの、年々少なくなっていると同区の案内は伝える。峠そのものも繰り返し作り替えられた。京都市の駒札は、木食正禅上人が享保19年(1734)頃から改修に取り組み、元文3年(1738)に完成させたと記す。慶応3年(1867)には街道の経路が付け替えられ、明治8年に起工した京都府の工事で峠の道は一丈一尺四寸低くなった。牛車の重みが石に刻んだ溝は、その積み重ねの一部として今も路傍に残る。

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