鳥辺野(平安京の葬送地・東山)|何があった場所か
清水寺の南から阿弥陀ヶ峰西麓に広がる、平安時代以来の葬送の地とされる。源氏物語や徒然草にも描かれ、藤原道長もこの地で荼毘に付されたと伝わる。現在は大谷本廟をはじめ墓地と寺院が連なり、祈りの歴史が今も続いている。
時のながれ
- 平安時代初期 — 平安京の成立以来の葬送地とされ、9世紀からしばしば記録に見えるという(山川日本史小辞典)。六道珍皇寺や六波羅蜜寺がこの地の入口に建てられた背景も葬送地であったことによるとされる。
- 平安時代中期 — 藤原道長がこの地で荼毘に付されたと伝わる。源氏物語葵巻では葵の上の葬送の地として「鳥べ野」が描かれている(精選版日本国語大辞典所引)。
- 鎌倉時代 — 弘長2年(1262年、西暦換算1263年1月)、親鸞聖人が鳥辺山南辺(現在の大谷本廟御荼毘所)で火葬され、遺骨は鳥辺野北辺の「大谷」に納められたと伝えられる。徒然草の「鳥部山の煙」の一節でも知られる。
- 江戸時代 — 慶長8年(1603年)、親鸞聖人の廟堂が現在の大谷本廟の地へ移転。近世以降は墓地が集中する地域となった(日本大百科全書)。五条坂には「大谷とりへの」を示す道標が残る(京都市いしぶみデータベースHI084)。
- 現在 — 大谷本廟(西大谷)と山腹の広大な墓地、清水寺周辺の寺院群が連なり、平安以来の葬送の地としての歴史が現役の祈りの場として続いている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- コトバンクの複数辞典(デジタル大辞泉・世界大百科事典・日本大百科全書・山川日本史小辞典ほか)で、清水寺の南から阿弥陀ヶ峰西麓に広がる平安時代以来の葬送地とされること、藤原道長がこの地で荼毘に付されたと伝わること、中世には化野とともに京都を代表する葬墓地となったことを確認した。
- 大谷本廟の公式沿革ページで、親鸞聖人が鳥辺山南辺で火葬され遺骨が鳥辺野北辺の「大谷」に納められたと伝えられること、慶長8年(1603)に廟堂が現在地へ移ったことを確認した。
- 京都市のいしぶみデータベースで、五条坂に「大谷とりへの」を示す道標(東山区五条坂東大路東入)が残ることを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 範囲には諸説あるため、座標は代表地点として大谷本廟付近である。
- 一帯は現役の墓地・宗教施設であり、参拝マナーと静粛への配慮を案内している。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 鳥辺野(デジタル大辞泉・改訂新版世界大百科事典・日本大百科全書・精選版日本国語大辞典・山川日本史小辞典)
コトバンク(小学館・平凡社・山川出版社ほか) - 大谷本廟 沿革(親鸞聖人の御荼毘と鳥辺山・鳥辺野)
浄土真宗本願寺派 大谷本廟(公式) - HI084 大谷・鳥部野【道標】(東山区五条坂東大路東入)
京都市(いしぶみデータベース) - 鳥辺野
Wikipedia(補助資料)
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この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
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