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死 死の痕跡 資料確認済み

近江屋跡(坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地)|何があった場所か

位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-08-22
河原町通に面した歩道に立つ「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」の石標。花が供えられている。右の木の柱には「寄贈 河原町商店街振興組合」とある(2026-08-22 撮影)
河原町通に面した歩道に立つ「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」の石標。花が供えられている。右の木の柱には「寄贈 河原町商店街振興組合」とある(2026-08-22 撮影)

慶応3年(1867)11月15日の夜、醤油商の近江屋にいた坂本龍馬と中岡慎太郎が襲われた場所。建物は残らず、河原町通蛸薬師下る西側の歩道に、昭和2年(1927)に京都市教育会が建てた「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」の石標と、京都市の説明板が立つ。碑の前には花が供えられている。

時のながれ

現地の写真

石標の後ろに掲げられた京都市の説明板「坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難之地(近江屋跡)」。日本語のほかに英語・中国語・韓国語が併記されている(2026-08-22 撮影)
石標の後ろに掲げられた京都市の説明板「坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難之地(近江屋跡)」。日本語のほかに英語・中国語・韓国語が併記されている(2026-08-22 撮影)
碑のそばに立つ河原町商店街振興組合の掲示。二人の肖像と「河原町ぶらり宣言」が並ぶ(2026-08-22 撮影)
碑のそばに立つ河原町商店街振興組合の掲示。二人の肖像と「河原町ぶらり宣言」が並ぶ(2026-08-22 撮影)

編集部の調査メモ

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