上町台地・難波宮跡|何があった場所か
大阪で最も古くから陸地だった上町台地。古代にはその周囲は海や潟だった。台地上には飛鳥〜奈良時代の宮殿「難波宮」の跡が残る。
時のながれ
- 縄文期(約7000-6000年前) — 上町台地は東に河内湾、西に大阪湾が広がる半島状の砂嘴だった(縄文海進期)。
- 弥生期〜古代 — 淀川・大和川水系の土砂堆積により河内湾が河内湖、湿地帯を経て沖積平野へと変化。上町台地周囲は段階的に陸地化した。
- 飛鳥〜奈良時代(645-784年) — 上町台地北端の法円坂周辺に前期難波宮(7世紀、天武朝)・後期難波宮(8世紀、聖武朝)が営まれた。
- 1964年〜 — 難波宮跡は昭和39年(1964年)に国の史跡指定を受け、以後7次にわたり追加指定(現名称「難波宮跡附法円坂遺跡」)。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 史跡の指定は大阪市の公式ページで確認した。
そのため、このページではこうしています
- 座標は難波宮跡公園・大極殿基壇の付近である。
- 上町台地そのものは南北およそ12kmに及ぶため、ピンはあくまで代表点である。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 51.難波宮(なにわのみや)跡 史跡 - 大阪市
大阪市 - 史跡難波宮跡附法円坂遺跡整備基本計画について - 大阪市
大阪市 - 9:地形からみた「上町台地」の歴史
三井住友トラスト不動産(郷土史・地理解説記事)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
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