西高瀬川(文久3年開削の木材運河・千本三条の材木町)|何があった場所か
幕末の文久3年(1863)、丹波の木材などを嵯峨から市中へ運ぶために開削されたと伝わる運河。千本三条界隈には材木商が集まり材木町が形成されたとされる。現在は水の流れが乏しい区間も多いが、川筋が往時の物流を今に伝える。
時のながれ
- 文久3年(1863) — 丹波の木材や穀物を渡月橋上流から市中へ運ぶ運河として開削されたと伝わる(開削者は河村与三右衛門とされる)。
- 明治3年(1870) — 京都府が改修・延伸し、伏見で鴨川まで通じたとされる。木材輸送の主ルートとなる。
- 明治期 — 千本三条から四条にかけて材木商が集まり、材木町が形成されたとされる。木屋町から移った商家もあったと伝わる。
- 現代 — 天神川の改修で水の大半が天神川へ注ぐようになり、市街地区間では水の流れない日も多い。川筋と木材関連の社名・地名が往時を伝える。
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近くの痕跡
- 応仁の乱 勃発地(御霊神社・御霊合戦の旧跡)(戦の痕跡・約3.6km)
- 船岡山(平安京の北の基点と伝わる玄武の小山)(方位の痕跡・約3.8km)
- 鳥羽伏見の戦い 勃発地(小枝橋・鳥羽離宮跡公園)(戦の痕跡・約6.6km)
- 比叡山延暦寺(平安京の鬼門を守る山と伝わる)(方位の痕跡・約11.3km)
参考・出典
- 西高瀬川
Wikipedia(『京都大事典』等の脚注付き) - 千本三条と西高瀬川、材木商、そして、昔の映画
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