本能寺跡(本能寺の変の舞台・現在の寺町御池とは別の旧地)|何があった場所か
天正10年(1582)の本能寺の変の舞台は、現在の寺町御池の本能寺ではなく、六角・蛸薬師・西洞院・油小路に囲まれた一帯にあたるとされる。寺はのち豊臣秀吉の政策で寺町へ移り、跡地には福祉施設などが建つ。蛸薬師通小川西南角には石標が残る。
時のながれ
- 応永22年(1415) — 日隆が油小路高辻に一寺を建て、本応寺と号したと伝わる。
- 永享5年(1433) — 四条坊門大宮の地に移り、本能寺と改めた。
- 天文14年(1545) — この頃、北を六角・南を四条坊門(蛸薬師)・東を西洞院・西を油小路に囲まれた一町四方の地に移り、堂宇を再興した。
- 天正10年(1582) — 6月2日、本能寺の変により織田信長が没し、堂宇は焼失した。
- 天正19年(1591) — 豊臣秀吉の政策により寺町御池へ移った。年次は資料により天正17年(1589)・天正20年(1592)ともされる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 京都市のいしぶみデータベースNA054で、天正10年6月2日の本能寺の変の時の寺域が、北は六角・南は蛸薬師・東は西洞院・西は油小路に囲まれた範囲であったことを確認した。
- 同データベースNA054で、石標 此附近 本能寺址 が中京区蛸薬師通小川西南角にあり、大正4年(1915)に京都市教育会によって建てられたことを確認した。
- 同データベースNA149で、もう一基の石碑 本能寺跡 が中京区油小路通蛸薬師下る東側にあり、平成6年(1994)に建てられたことを確認した。
- 京都観光Navi(京都市公式)で、本能寺の変で焼失した本能寺が現在地の寺町御池ではなかったことを確認した。
- 京都市埋蔵文化財研究所と京都市考古資料館のリーフレット京都No.380(2020年8月)で、本能寺の変の舞台となった本能寺跡が現在の西洞院通と蛸薬師通の交差点北西側にあたること、旧境内で4回の発掘調査が行われたこと、火災の熱を受けて変色した瓦と、稲ワラを含む焼けた壁土の塊が出土したことを確認した。
- 京都市考古資料館の文化財講座資料(2020年6月27日収録)で、西肩に3段の石垣を持つ堀(幅4メートル以上・深さ1メートル以上)、四条坊門小路北側の東西方向の堀、能の字の銘の軒丸瓦が確認されたことを確認した。
- 社会福祉法人京都福祉サービス協会の公式ページで、跡地に建つ高齢者福祉施設の住所が中京区蛸薬師通油小路東入元本能寺南町であり、2005年9月に複合施設として開設されたことを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 座標は、京都市のいしぶみデータベースが示す石標 此附近 本能寺址 の位置(北緯35度00分22.0秒/東経135度45分15.8秒、世界測地系)を小数に換算したものである。
- この石標は蛸薬師通と小川通が交わる角に位置する。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 本能寺跡出土品が令和元年度に京都市の有形文化財に指定されたとの記述はリーフレット京都No.380にあるが、京都市の文化財一覧ページが開けず、指定内容の一次資料には到達できなかった。
- 2基の石標の現在の設置状況は、現地での確認に至っていない。
- 寺町御池への移転の年次は資料により幅がある。京都市考古資料館の講座資料は天正19年(1591)、本能寺の公式沿革は1592年、平成6年建立の石碑の碑文は天正17年(1589)に移転を命じられたという経緯を刻む。
- 寺域の規模は、京都観光Navi(京都市公式)が東西150メートル・南北300メートル、京都市考古資料館の講座資料が一町(約120メートル)四方で、両者が食い違う。
- 跡地の町名は、京都観光Naviが中京区小川通蛸薬師元本能寺町、京都市のいしぶみデータベースおよび跡地の施設の住所表記が元本能寺南町で、表記が分かれる。
参考・出典
- NA054 本能寺址(いしぶみデータベース)
京都市(総務局・京都市歴史資料館) - NA149 本能寺跡(いしぶみデータベース)
京都市(総務局・京都市歴史資料館) - 本能寺跡|京都市公式 京都観光Navi
公益社団法人京都市観光協会(京都市公式観光サイト) - リーフレット京都 No.380(2020年8月)本能寺跡出土の瓦
公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館 - 第312回京都市考古資料館文化財講座 明智光秀と本能寺の変
公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所(京都市考古資料館) - 本能寺について
法華宗大本山 本能寺(公式サイト) - 高齢者福祉施設 本能|事業所のご案内
社会福祉法人 京都福祉サービス協会 - 本能寺跡発掘調査報告(全国遺跡報告総覧)
奈良文化財研究所(発行:関西文化財調査会・2008年3月)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
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- 西高瀬川(文久3年開削の木材運河・千本三条の材木町)(水の痕跡・約1.1km)
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