六間堀・五間堀跡(五間堀公園)|何があった場所か
本所の竪川と深川の小名木川を南北に結んだ六間堀と、そこから分かれた五間堀の跡とされる。開削年代は不詳だが、六間堀は寛文期の江戸絵図にすでに描かれ、昭和期の埋め立てで水面は消えた。堀の幅(六間・五間)が名の由来と伝わる。跡は道路や五間堀公園などになり、六間堀跡は昭和57年(1982)に江東区の登録史跡となった。

近くの痕跡
- 「深川」の地名由来(地の痕跡・約234m)
- 竪川(本所の運河・首都高下)(水の痕跡・約533m)
- 小名木川(塩の道・万年橋)(水の痕跡・約759m)
- 回向院(両国・万人塚に始まる寺)(死の痕跡・約759m)
時のながれ
- 江戸前期 — 開削年代は不詳だが、開削年代は不詳だが、寛文期の「寛文新板江戸絵図」に六間堀がすでに描かれている。
- 江戸時代 — 北の竪川から南の小名木川に通じる堀として使われ、川幅の六間・五間が名の由来とされる。
- 嘉永5年(1852) — 嘉永五年版の切絵図に山城橋・北ノ橋・中橋・猿子橋などの橋が描かれている。
- 昭和期 — 二度の埋め立てにより水面が消え、跡は道路や五間堀公園などになったとされる。
- 昭和57年(1982) — 「六間堀跡」が江東区の登録史跡となる(所在地は新大橋3-18〜常盤1-19)。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 江東区の公式ページで、区の登録史跡であること(登録は1982年3月15日)と所在地を確認した。日本歴史地名大系で「開削年代は不詳だが寛文新板江戸絵図にはすでに見られる」「北の竪川から南の小名木川に通じる堀」という記述も確認した。
そのため、このページではこうしています
- 座標は、いま痕跡が残る五間堀公園に置いている。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 埋立の年次(昭和11年・昭和30年頃とされる)を裏づける資料には到達していない。昭和に入ってから二度にわたって埋め立てられたことまでは確認できた。
参考・出典
4件出典に基づいて掲載している
- 六間堀跡(区登録史跡)
江東区 - 六間堀五間堀(日本歴史地名大系)
コトバンク - 地図の雑学|深川森下 小名木川・六間堀跡(東京都)
昭文社(マップル) - 【五間堀公園】元々は川だった五間堀跡に造られた森下2丁目の公園
深川くらし
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :説明文と時のながれで、寛文期の江戸絵図にすでに描かれている堀を「六間堀・五間堀」から「六間堀」だけに改めた。出典の日本歴史地名大系がそう記すのは六間堀の説明の中で、五間堀については絵図に載ると記していないためだ。時のながれにも「開削年代は不詳だが」を添えた。
- :説明文に、時のながれにある、跡が道路や五間堀公園などになったことと、六間堀跡が江東区の登録史跡になった年を足した。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。