回向院(両国・万人塚に始まる寺)|何があった場所か
明暦の大火(1657年)で亡くなった10万人以上と伝えられる人々を、将軍家綱の命により葬った万人塚に始まると伝わる寺院。有縁無縁を問わず生あるすべてを供養する理念が、今日まで受け継がれている。

近くの痕跡
- 「両国」の地名由来(両国橋)(地の痕跡・約293m)
- 「深川」の地名由来(地の痕跡・約666m)
- 六間堀・五間堀跡(五間堀公園)(水の痕跡・約759m)
- 旧陸軍被服廠跡(横網町公園・東京都慰霊堂)(死の痕跡・約805m)
時のながれ
- 1657年(明暦3) — 明暦の大火で10万人以上が亡くなったと伝えられ、将軍家綱の命により身元の分からない人々を葬る万人塚が設けられた。
- 江戸期 — 有縁・無縁、人・動物を問わず供養するという理念のもと、安政大地震など天災で亡くなった人々の無縁仏も埋葬したとされる。
- 江戸後期 — 鼠小僧次郎吉が葬られ、現在もその墓が知られている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 寺の公式の由緒ページで、明暦の大火(市街の6割以上が焼失し、10万人以上が亡くなったとの記載)、将軍家綱が隅田川東岸の現在地に土地を与えて万人塚を設けた経緯、無縁供養の理念を確認した。
そのため、このページではこうしています
- 犠牲者の数を10万8千人とする記述もあるが、寺の公式は「10万人以上」としている。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 安政の大地震などの犠牲者や無縁仏の埋葬、鼠小僧次郎吉の墓については、公式の由緒ページに記載がない。補助的な資料で確認したものである。
この痕跡を掘り下げた記事
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :参考・出典の表題を「回向院の歴史」から、ページの実際の表題「開創|回向院」に改めた。編集部の調査メモからは、明暦の大火の犠牲者の数について「10万人以上に含まれる範囲であり、食い違いではない」とした説明を外し、寺の公式は「10万人以上」としている、と資料の記述だけを並べた。慰霊に関わる数字に、出典に無い説明を加えないためだ。
この場所について
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