天満堀川跡(阪神高速守口線下)|何があった場所か
1598年(慶長3)に開かれたとされる堀川で、天保9年(1838)に大塩の乱後の窮民救済を兼ねて北へ延長され、大川と結ばれたと伝わる。1968年(昭和43)に埋め立てられ、現在は流路の大部分が阪神高速守口線などの下にある。堀川戎神社や堀川小学校にその名が残る。

近くの痕跡
- 堀川監獄跡(扇町公園)(死の痕跡・約451m)
- 大阪天満宮 大将軍社(難波宮の西北を守ると伝わる社)(方位の痕跡・約532m)
- 「曽根崎」地名の由来(曾根崎洲・そね説)(地の痕跡・約664m)
- お初天神(露天神社)と曽根崎心中(噂の痕跡・約723m)
時のながれ
- 1598年(慶長3) — 天満に堀川が開かれたとされる(当初は堂島川側から扇町公園付近までの入堀だったと伝わる)
- 1838年(天保9) — 大塩の乱後の窮民救済を兼ねて北へ延長され、大川と結ばれたとされる
- 1968年(昭和43) — 戦後の堀川埋立の流れの中で埋め立てられる
- 現在 — 流路の大部分が阪神高速12号守口線・扇町バイパスの下にあたり、堀川戎神社・堀川小学校などに名が残る
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 大阪市建設局のコラムの埋立堀川一覧に、天満堀川の記載を確認した。
そのため、このページではこうしています
- 1838年の延長は、大塩の乱のあとの窮民救済を兼ねた開削とされる。
- ピンは旧流路沿いの堀川戎神社付近に推定で置いている。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 開削・延長・埋立の年代は、補助的な資料によるものである。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
⛩ この土地の福跡
同じ土地の、受け継がれてきた側の顔だ。
- 堀川戎神社堀の名を今に残す「キタのえべっさん」。
参考・出典
2件出典に基づいて掲載している
- コラム2 「水の都」大阪
大阪市建設局 - 堀川 (大阪府) - Wikipedia
Wikipedia
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :説明文・時のながれ・編集部の調査メモの5か所を、出典の書き方に合わせて改めた。主な変更は、流路が下にあたる道路を「王子バイパス」から「扇町バイパス」に直したこと、出典に無い事業名「御救普請」「御救大浚え」を外し、1838年の延長を大塩の乱のあとの窮民救済を兼ねた開削としたこと、当初の入堀の「浅い」を外し、堂島川側から扇町公園付近までの入堀としたことだ。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。