堀川監獄跡(扇町公園)|何があった場所か
明治15年(1882)、天満堀川に近いこの一帯に堀川監獄分署が置かれ、市中の監獄がここに集められた。当時の刑法は死刑を獄内で行うと定めており、大阪府統計書は明治39〜43年の各年、堀川監獄の在監者の中に「刑死」を記録している。監獄は大正9年(1920)に堺へ移り、跡地の一部に大正12年(1923)、扇町公園が開かれた。敷地のどこで刑が行われたかを示す記録は見当たらない。
公園の南端、阪神高速の出入口の横に祀られる八重垣大明神について、綱敷天神社は、二代将軍秀忠の頃この堀川端の荒野に仕置き場が設けられていたようだという由緒を伝える。大坂の刑場を整理した資料が挙げるのは千日・鳶田・野江などで、扇町の名は見当たらない。

近くの痕跡
- 天満堀川跡(阪神高速守口線下)(水の痕跡・約451m)
- 「曽根崎」地名の由来(曾根崎洲・そね説)(地の痕跡・約685m)
- お初天神(露天神社)と曽根崎心中(噂の痕跡・約787m)
- 南浜墓所跡(大坂七墓)(死の痕跡・約870m)
時のながれ
- 明治15年(1882) — 12月、北区扇町に堀川監獄分署が新設される。
- 明治18〜21年(1885〜1888) — 松屋町・中之島・若松町の監獄が堀川へ移転合併する。
- 明治23年(1890) — 大阪府監獄署と改称。
- 明治36年(1903) — 監獄官制の改正で、大阪監獄(刑が確定した人)と堀川監獄(裁判中の人)に分かれる。
- 明治39〜43年(1906〜1910) — 大阪府統計書が、各年の刑死を堀川監獄の在監者として記録する。
- 大正9年(1920) — 6月1日、大阪監獄が堺市へ移転する。のちの大阪刑務所。
- 大正12年(1923) — 12月、跡地の一部に扇町公園が開かれる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 『大阪府全志』巻之5(1922)p.292〜293で、明治15年12月の堀川監獄分署の新設、松屋町・中之島・若松町の監獄の移転合併、明治23年の大阪府監獄署への改称、明治36年の大阪監獄と堀川監獄の分立、大正9年の堺への移転を確認した。
- 旧刑法第12条と新刑法第11条が死刑を監獄の中で行うと定めていたことを、『新旧刑法対照』(1908)の原本画像で確認した。
- 大阪府統計書 明治39〜43年版の「在監人ノ死亡」表で、各年の刑死が堀川監獄の欄に記録されていることを原本画像で確認した。同じ5年間、府内のほかの監獄の刑死欄は0だった。
- 北区役所『北区名所八十八景』で、大正12年の公園の開設と、大正7年の地図で監獄の敷地が今の公園とほぼ同じ形であることを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 江戸初期の仕置き場は、綱敷天神社が八重垣大明神の由緒として伝える話で、伝承として扱った。
- 監獄の敷地は公園より広かった。ピンは公園に置いたが、刑の執行の位置を示すものではない。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 監獄の敷地の中で刑が行われた位置は、どの資料にも書かれていない。
- 未決の収容棟を若松町へ移した年は、大阪府全志が大正2年(1913)、矯正図書館の変遷図が大正7年(1918)で、資料によって違う。
- 江戸初期の仕置き場の話を裏づける公的資料は見つからなかった。無かったことの証明ではない。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
8件出典に基づいて掲載している
- 大阪府全志 巻之5(向井町「大阪監獄」の項 p.292〜293)
井上正雄著・大阪府全志発行所(1922)/国立国会図書館デジタルコレクション - 刑務所拘置所変遷図 大阪府内編
公益財団法人矯正協会 矯正図書館 - 新旧刑法対照(旧刑法第12条・新刑法第11条)
有斐閣(1908)/国立国会図書館デジタルコレクション - 大阪府統計書 明治39年〜43年版(在監人ノ死亡)
大阪府/国立国会図書館デジタルコレクション - 北区名所八十八景 第五十一景 扇町公園
大阪市北区役所(公式) - レファレンス協同データベース「扇町公園の沿革」
国立国会図書館(回答: 大阪市立図書館) - レファレンス協同データベース「江戸時代に大坂にあった刑場」
国立国会図書館 - 氏地 扇町2丁目(八重垣大明神)
綱敷天神社
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。