大阪天満宮 大将軍社(難波宮の西北を守った社)|何があった場所か

大阪天満宮の始まりは、白雉元年(650年)に孝徳天皇が難波長柄豊碕宮を造営した頃、都の西北を守る神として祀られた大将軍社と伝わる。天暦3年(949年)の七本松の奇瑞を機に村上天皇の勅命で社殿が建てられたという。周辺の「南森町」の地名は「大将軍の森(天神の森)」の名残とされる。
時のながれ
- 650年(白雉元年) — 孝徳天皇の難波長柄豊碕宮造営の頃、都の西北を守る神として大将軍社が祀られたと伝わる。
- 901年(延喜元年) — 菅原道真が太宰府へ下る途上、大将軍社に参拝し旅の無事を祈願したと伝わる。
- 949年(天暦3年) — 社前に一夜で七本の松が生えたという奇瑞により、村上天皇の勅命で社殿が創建されたと伝わる。
- 現代 — 大将軍社は境内摂社として現存し、「南森町」の地名に「大将軍の森」の記憶が残る。
現地の写真

編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 由緒は神社の公式情報と大阪市の公式ページの双方で一致を確認した。大将軍社は現在も境内の摂社として残っている。
現地確認: 実施済み
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 創建の年代は社伝によるもので、裏づけとなる資料までは確認できていない。
参考・出典
- 大阪天満宮について
大阪天満宮(公式) - 31.大阪天満宮(てんまんぐう)
大阪市(公式)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
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⛩ この土地の福跡
同じ土地の、受け継がれてきた側の顔だ。
- 大阪天満宮この大将軍社を起点として建てられたと伝わる、いまの天神さん。