第6回大阪大空襲の被災域(堺市街中心・堺大空襲)|何があった場所か
1945年7月10日未明、B29の焼夷弾攻撃で堺の市街中心部が焼失した第6回大阪大空襲(堺大空襲)。堺市は、この堺大空襲だけで1,860人が亡くなったと記録している。大仙公園の平和塔などが今も犠牲者を悼む。堺区甲斐町西の内川河川敷には、2009年に「堺大空襲を偲び平和を祈念する碑」が建てられた。

近くの痕跡
- 堺環濠都市の濠跡(土居川・内川)(水の痕跡・約658m)
- 大浜公園と堺水族館跡(第5回内国勧業博覧会第2会場)(地の痕跡・約969m)
- 旧堺燈台(堺旧港・現地保存の木造洋式燈台)(水の痕跡・約1.3km)
- 方違神社(三国の境と「堺」の地名)(方位の痕跡・約1.7km)
時のながれ
- 1945年7月10日 — 未明の約1時間半、B29約116機による焼夷弾攻撃で堺市街中心部が焼失したとされる(堺大空襲・第6回大阪大空襲)
- 1971年 — 大仙公園に平和塔が建立され、戦没者・戦災死没者を追悼
- 2009年 — 堺区甲斐町西の内川河川敷(栄橋・竜神橋間)に「堺大空襲を偲び平和を祈念する碑」が建立される
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 堺市の公式は、1945年7月10日の堺大空襲だけで1,860人が亡くなったと記している。堺市への空襲は5次にわたり、その合計は死者1,876人・重軽傷者1,057人とされる。
- 総務省のページによれば、龍神駅の付近では逃げ場を失った数百人の市民が一団となって焼死したとされる。堺区甲斐町西の内川河川敷(栄橋・竜神橋間)に「堺大空襲を偲び平和を祈念する碑」(2009年建立)がある。
そのため、このページではこうしています
- ピンは被災の中心とされる旧市街(環濠都市エリア)の中心部に推定で置いている。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 堺・住吉・貝塚の合計を1,394人とする資料もあるが、堺市公式の堺大空襲単独の記録(1,860人)より小さく、数え方の対応関係は確認できていない。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
4件出典に基づいて掲載している
- 堺市における戦災の状況(大阪府)
総務省 - 堺大空襲を偲び平和を祈念する碑
総務省 - 第6回大阪大空襲
大阪市内で戦争と平和を考える(民間資料サイト) - 堺大空襲の体験を伝える ピースメッセンジャー
堺市(公式)
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :編集部の調査メモの2文と時のながれの1項目、参考・出典の表題を改めた。主な変更は、総務省のページに順位づけの記載が無いため、旧龍神駅付近が「市内で最も被害の大きかった場所」を、同ページの言い方どおり、逃げ場を失った数百人の市民が一団となって焼死したとされる、としたことだ。平和祈念の碑の所在も「堺区大町」から、総務省の記載どおり「堺区甲斐町西の内川河川敷(栄橋・竜神橋間)」に改めた。
- :説明文に、時のながれと調査メモにある、2009年に建てられた「堺大空襲を偲び平和を祈念する碑」の場所を足した。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。