旧堺燈台(堺旧港・現地保存の木造洋式燈台)|何があった場所か
明治10年(1877)築、現地に保存される木造洋式燈台としては国内で最も古いもののひとつとされる高さ約12メートルの六角形燈台。堺旧港の突端で約90年間大阪湾を照らしたが、周辺の埋立で海岸線が遠のき、昭和43年(1968)に廃灯。国の史跡として現地保存されている。

近くの痕跡
- 大浜公園と堺水族館跡(第5回内国勧業博覧会第2会場)(地の痕跡・約379m)
- 第6回大阪大空襲の被災域(堺市街中心・堺大空襲)(戦の痕跡・約1.3km)
- 堺環濠都市の濠跡(土居川・内川)(水の痕跡・約1.9km)
- 鉄炮鍛冶屋敷と「鉄砲町」(鉄砲鍛冶の町の痕跡)(地の痕跡・約2.3km)
時のながれ
- 1877年(明治10) — 堺旧港の突端に洋式木造燈台が築造され、9月15日に初点灯。建築費の大半は堺市中からの寄附金だった。
- 1959年(昭和34)〜 — 堺泉北臨海工業地帯の埋立が進み、燈台の前から海岸線が遠のいていったとされる。
- 1968年(昭和43) — 1月29日まで使用され、文化遺産オンラインによれば3月付で廃灯となった。約90年間の役目を終えた。
- 1972年(昭和47)7月 — 国の史跡に指定される。
- 2005〜2007年 — 保存解体修理が行われ、現在も旧堺港の突端に明治期の姿で現地保存されている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 堺市の公式、文化遺産オンライン、Wikipediaの3つで、建築年(1877年)、廃灯(1968年)、国史跡の指定(1972年7月12日)が一致した。明治10年9月15日の初点灯、石工は継国真吉、大工は大眉佐太郎、レンズはフランスのバービエール社製で、英国人技師ビグルストーンが取り付けたことも確認できた。
- 建築費の大半が堺の人々からの寄附で賄われたことは、堺市の公式に記載がある。
そのため、このページではこうしています
- 高さの表記は資料によって異なる(堺市公式は12m、Wikipediaは地上から塔頂まで11.3m、文化遺産オンラインは基礎より約11m)。約12mは堺市公式の値である。
現地確認: 未実施
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 旧堺燈台
堺市(公式) - 旧堺燈台 - 文化遺産オンライン
文化庁 - 旧堺燈台 - Wikipedia
Wikipedia(補助資料)
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :説明文・編集部の調査メモ・時のながれを1か所ずつ改めた。説明文の「現地に保存される木造洋式燈台としては国内最古」を、堺市公式の言い方どおり「国内で最も古いもののひとつ」とした。調査メモで高さの違いを「丸め方の違い」としていた説明は出典に無いため、資料ごとの値と測り方をそのまま並べた。時のながれの1968年の項も、1月29日まで使われ、3月付で廃灯となったと、使用の終わりと廃灯の手続きを分けた。
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