旧尻無川跡(九条・千代崎境の埋立河道)|何があった場所か
かつて木津川から分かれ、九条と千代崎の境を南下していた尻無川上流部の跡。1952年(昭和27年)頃に埋め立てられ、川筋は道路用地になったと記録される。
時のながれ
- 近世〜近代 — 尻無川は西区本田1丁目付近(松島公園付近)で木津川から南西へ分流し、千代崎と九条の境を南下して海へ注いでいたとされる。
- 1920年(大正9年) — 上流部が狭く大型船の航行に不向きだったため、木津川と尻無川を結ぶ岩崎運河が開削される。
- 1950〜1952年(昭和25〜27年) — ジェーン台風(1950年9月)の直後から上流部の埋立工事が始まり、1952年3月頃に完了したと記録される。梅本橋から新櫨橋までの5橋が撤去された。
- 現代 — 埋め立てられた川筋は道路用地となり、岩崎運河が実質的な尻無川の上流部となっている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 国立国会図書館のレファレンスで、埋立の時期(ジェーン台風直後の1950年9月着工から1952年3月頃の完了)、梅本橋から新櫨橋までの5橋の撤去、跡地の道路化を確認した。出典は『大正区史』『大阪の橋』『埋もれた西区の川と橋』である。
そのため、このページではこうしています
- 旧河道は線状に伸びるため、座標は九条・千代崎の境の中間点の推定である。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 尻無川の岩崎運河以北の部分は、昭和27年に埋め立てられたと聞きます…(レファレンス事例詳細)
国立国会図書館 レファレンス協同データベース(回答館: 大阪市立中央図書館) - 尻無川 (大阪府) - Wikipedia
Wikipedia
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近くの痕跡
- 「九条」地名の由来(衢壌島説・条里制説など)(地の痕跡・約337m)
- 大地震両川口津浪記石碑(大正橋東詰)(水の痕跡・約847m)
- 安治川(河村瑞賢の開削・九条島を割った川)(水の痕跡・約1.2km)
- 戦災復興土地区画整理事業の痕跡(西区・幹線道路網)(戦の痕跡・約1.5km)