「九条」地名の由来(衢壌島説・条里制説など)|何があった場所か
大阪市西区「九条」は、古代の条里制(土地の区画制度)の名残とする説がある一方、江戸初期に淀川河口の中州を開発した際の「衢壌島(くじょうじま)」という当て字に由来するとの説もあり、国立国会図書館の照会でも決着していないとされる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 1684年(貞享元年)の安治川開削によって中州が東西に分かれ、東側が九条、西側が西九条になった経緯は、複数の資料が一致している。
そのため、このページではこうしています
- 由来は複数の説が併存したまま決着していない。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 「九条」を条里制に結びつける確かな根拠と、一条から十条までが連続しない理由は確認できていない。国立国会図書館のレファレンス協同データベースも両論を併記し、「一条から十条までがなぜないのかははっきりとはわからない」としている。
- 由来には、林羅山が中州を「衢壌島(くじょうじま)」と名づけ、のちに「九条島」へ表記が変わったとする説と、条里制の名残とする説がある。
参考・出典
- 大阪には「九条(西区)」「十八条(淀川区)」という地名があるが、京都のように一条から十条までないのはなぜか
国立国会図書館レファレンス協同データベース - 九条 (大阪市) - Wikipedia
Wikipedia(出典: 角川日本地名大辞典等) - 十三(じゅうそう)の地名の由来について
国立国会図書館レファレンス協同データベース - 難波京 - Wikipedia
Wikipedia - 区の町名の由来(淀川区の情報)
大阪市淀川区役所(自治体公式)
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この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
- 旧尻無川跡(九条・千代崎境の埋立河道)(水の痕跡・約337m)
- 安治川(河村瑞賢の開削・九条島を割った川)(水の痕跡・約843m)
- 大地震両川口津浪記石碑(大正橋東詰)(水の痕跡・約1.2km)
- 「野田」地名の由来(旧湿地帯・野田藤の名所)(地の痕跡・約1.3km)