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お玉が池跡(江戸名所図会が「井の如き形」と書いた池と、1858年のお玉ヶ池種痘所)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 推定(ピンは繁栄お玉稲荷・区の説明板・町名由来板のある岩本町二丁目5番の街区の代表点。池の正確な場所は分かっていない) / 最終確認日: 2026-10-13

千代田区岩本町二丁目の繁栄お玉稲荷神社の境内に、区の説明板「お玉が池跡」が立つ。千代田区によると、この地域には江戸時代以前にお玉が池と呼ばれる池があり、当初は桜が池と呼ばれていたが、ほとりにあった茶店のお玉という女性が池に身を投げた故事から、お玉が池と呼ばれるようになったといわれる。天保5〜7年(1834〜1836)刊の『江戸名所図会』も同じ話を土地の老人の言い伝えとして載せ、そのころ池はすでに、神田松枝町の人家の裏庭にある於玉稲荷の傍らに、井戸のような形を残すだけだったと書く。

区の説明板は、池は江戸時代の早い時期に埋め立てられ、正確な場所は不明だが、岩本町二丁目・神田岩本町・神田東松下町の周辺であったと考えられるとする。明治40年(1907)の『東京遊覧案内』は、池の跡を於玉稲荷の祠の中の小さなくぼ地にすぎないと記す。安政5年(1858)、江戸の蘭方医たちが資金を出し合い、この地に種痘所を開いた。種痘所は同じ年の11月に類焼し、翌年に下谷和泉橋通りへ移った。東京大学は、医学部の前身である東京医学校の起源をこの神田お玉ケ池の種痘所に置いている。種痘所の跡を示す碑は、千代田区観光協会によると岩本町2-7-11にあり、ピンのある街区から南へ約120メートルの街区にあたる(街区の代表点どうしの直線距離)。ピンは稲荷と説明板のある街区に置いたもので、池の範囲を示すものではない。

お玉が池跡(江戸名所図会が「井の如き形」と書いた池と、1858年のお玉ヶ池種痘所)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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