千苅貯水池と水没した波豆の金福寺跡|何があった場所か
千苅貯水池は、神戸市が武庫川水系の羽束川と波豆川をせき止めて造った、市内最大の水道専用の貯水池である。堤高42.42メートル、堤長106.67メートルの千苅堰堤は大正8年に竣工し、平成10年に国の登録有形文化財となった。堰堤の建つ神戸市北区道場町生野は、竣工当時は有馬郡道場村であり、神戸市への編入は昭和26年である。市がまだ市域の外に水源を求めた時代の施設である。湖面の北側は宝塚市に属する。北岸の波豆は、明治42年に神戸市会で水道拡張議案が通ったのち反対の陳情を重ねた集落で、宝塚市史の資料編には西谷村長と神戸市とのあいだで交わされた照会状、補償の請求書、買収への応諾までが並ぶ。宝塚市史をもとに編まれた郷土の刊行物は、昭和4年から6年の堰堤嵩上げ工事によって、波豆村の移転家屋が22戸、水没した田畑や山林や宅地等が約23町歩に及んだと記す。湖底へ立ち入ることはできない。ただし、沈むことになった金福寺跡の板碑と五輪塔と宝篋印塔は北岸の波豆八幡神社の境内へ移され、いずれも兵庫県の指定文化財として今も並ぶ。石造物の材となった波豆石の石切り場跡も、湖の中にあると伝わる。堰堤の上には普段は立ち入れず、堰堤前の広場は毎年春の祭りの折に開放される。
時のながれ
- 1908年(明治41) — 神戸市が武庫川上流の千苅で水源池建設の現地調査を始める。
- 1909年(明治42) — 水道拡張議案が神戸市会を通過し、川辺郡西谷村大字波豆の人々が計画を知る。
- 1914年(大正3) — 用地の買収価格と移転料の通知を経て着工する。
- 1919年(大正8) — 千苅堰堤が竣工する。当時この地は有馬郡道場村であった。
- 1929〜1931年(昭和4〜6) — 堰堤の嵩上げ工事により、波豆村の移転家屋22戸と約23町歩が水没する。
- 1998年(平成10) — 千苅堰堤が国の登録有形文化財となる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 文化庁の国指定文化財等データベースは、名称を神戸市水道局千苅堰堤(千苅ダム)、種別を土木構造物、年代を大正8年(1919)、所在地を兵庫県神戸市北区道場町生野、所有者を神戸市、登録番号を28-0035、登録年月日を1998年12月11日と記載する。
- 神戸市水道局の公式サイトは、千苅貯水池を羽束川および波豆川を水源とする神戸市で一番大きな水道専用の貯水池とし、ダムの正式名称を千苅堰堤、堤高42.42メートル、堤長106.67メートル、湛水面積1,122,000平方メートル、有効貯水容量11,244,266立方メートルと記載する。
- 同じ水道局の歴史のページは、1911年の調査で羽束川と波豆川が水源に選ばれ、第1回拡張工事の完成が1921年3月であったこと、1926年着工の第2回拡張工事で堰堤のかさ上げが行われたことを記載する。
- 神戸市の刊行物「北区の歴史を振り返る」は、道場村が1951年に神戸市へ編入されたと記載する。千苅堰堤の竣工年より後である。
- 北摂里山博物館運営協議会のガイドブックは、宝塚市史をもとに、堰堤嵩上げ工事が昭和4年4月に始まり昭和6年8月に終わったこと、この工事で波豆村の移転家屋が22戸、水没した田畑・山林・宅地等が約23町歩であったことを記載する。
- 同じガイドブックは、波豆八幡神社の境内西端の石造美術品群が、境内東側の斜面にあった金福寺から、水源池をつくる際に水没するため移されたものであると記載する。兵庫県阪神北地域ツーリズム振興協議会の観光案内も、板碑・五輪塔・宝篋印塔を千苅水源地に沈んだ金福寺のものと記載する。
- 宝塚市の文化財一覧は、八幡神社本殿(波豆)を大正4年3月26日の国指定として掲げ、県指定の一覧に石造鳥居(波豆)を昭和37年6月15日、宝篋印塔(波豆)と五輪塔(波豆)を昭和43年3月29日、板碑(波豆)を昭和51年3月23日として掲げる。兵庫県教育委員会の県指定文化財一覧も石造鳥居を同じ日付の県指定建造物とする。
- 昭和館デジタルアーカイブの書誌情報により、宝塚市史 第6巻 資料編3に「水源池の建設と波豆むら」の章があり、明治43年の西谷村長から神戸市長への照会状、大正3年の補償要求、大正4年8月の買収への応諾など、村と神戸市とのやりとりの文書が収録されることを確かめられる。
- 神戸市水道局の広報記事は、ダムの上について普段は入ることができない場所であると記載する。神戸市北神区役所の道場町の紹介は、堰堤前の広場が春の祭りの折に開放されると記載する。
そのため、このページではこうしています
- 波豆は今も宝塚市の大字として続いており、沈んだのは低地の一部である。集落そのものが消えたわけではないため、移転家屋の戸数と水没した面積という行政上の記録の言い方で示した。
- 神社と石造物は宝塚市側にあり、湖をはさんで堰堤の対岸にあたる。地図の位置は、施設としてのまとまりがあり位置を特定できる千苅堰堤に置いた。
- 表記は、文化庁と神戸市水道局が用いる千苅に統一した。宝塚市側の郷土資料には千刈の表記も見える。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 大正8年の当初の竣工の時点で何戸が移転したのかを示す数字には到達できていない。移転戸数として確認できた22戸は、昭和4年からの嵩上げ工事に伴うものである。
- 波豆石の石切り場跡の正確な位置は湖中とされるのみで、地点を示す公的な図は見あたらない。
- 石造鳥居が現在地へ移された時期について、嵩上げ工事の際とする記述はあるが、当初の築造時とする資料との突き合わせはできていない。
- 堰堤の下流側の遊歩道が通年で通行できるかどうかは、公的な資料で確かめられなかった。
- 文化庁の解説文は千苅堰堤を神戸市水道第2次拡張時の水源地ダムとするが、神戸市水道局の歴史のページは千苅の建設を第1回拡張工事、堰堤のかさ上げを第2回拡張工事とする。数え方が一致しない。
- 神戸市北神区役所の道場町の紹介は工事着手を1928年(大正3年)と記すが、大正3年は1914年にあたる。日本ダム協会の便覧も着工を1914年とする。
- 嵩上げの着工年は、大正15年とする資料と昭和4年とする資料がある。議決が大正14年から15年、現場の開始が昭和4年と読むと整合する。
参考・出典
- 国指定文化財等データベース 神戸市水道局千苅堰堤(千苅ダム)
文化庁 - 神戸市水道局千苅堰堤(千苅ダム)
文化遺産オンライン(文化庁) - 貯水池
神戸市水道局 - 神戸の水道 125年の歴史
神戸市水道局 - 神戸市最大のダム、千苅ダムと千苅浄水場に潜入
神戸市水道局 - 道場町の紹介
神戸市北神区役所 - 北区の歴史を振り返る
神戸市 - ガイドブック hitosato「西谷の歴史」
北摂里山博物館運営協議会 - 宝塚市の文化財一覧
宝塚市教育委員会 - 県指定文化財一覧
兵庫県教育委員会 - 波豆八幡神社(ぐるっとおでかけ阪神北)
兵庫県阪神北地域ツーリズム振興協議会 - 宝塚市史 第6巻 資料編3(書誌・目次)
昭和館デジタルアーカイブ
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