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方 方位の痕跡 資料確認済み

城南宮の方除と鳥羽離宮跡|何があった場所か

位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-08-29

京都市伏見区中島鳥羽離宮町に鎮座する城南宮は、方除の大社として知られる。京都府観光連盟は、平安遷都の際に都の南に国の守護神として創建された神社で、方除の神として信仰を集めていると記す。京都市が公開する史料京都の歴史も、方除けの神として知られているとした上で、創建は諸説あり、平安京遷都時に王城守護のため創祀されたとも、城南寺の鎮守神として創祀されたともいわれるとして、一つに絞っていない。城南宮自身は、延暦13年(794)の平安京遷都に際して国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせ祀ったのが創建と伝え、社名は平安城の南に鎮まる宮の意味であるとする。この地が方位と結びついた背景には、平安時代後期の巨大な離宮がある。京都市埋蔵文化財研究所は、鳥羽離宮が白河天皇の後院として応徳3年(1086)に造営が開始され、孫の鳥羽天皇まで約70年続いたとする。規模は資料により幅があり、同研究所は東西1.2キロメートル、南北1.0キロメートル、面積約120ヘクタールとし、京都市の歴史散策マップは東西約1.5キロメートル、南北約1キロメートル、約180町(180万平方メートル)とする。城南宮はその離宮に囲まれる位置にあり、同研究所は城南宮を馬場殿跡に想定し、鳥羽離宮鎮守の神としてまつられ、現在は方除の神として知られていると説明する。城南宮は、離宮の御殿が熊野詣の精進所や方違の宿所にも充てられ、上皇や貴族が方位の災厄から無事であるよう祈ったことに方除の由来を求めている。離宮の跡は昭和53年(1978)7月17日に国の史跡である鳥羽殿跡に指定された。文化庁の解説によれば、指定の対象は秋の山の南で寝殿造の舎屋遺構が確認された南殿跡である。その秋の山は城南宮の西側、国道1号線を越えた先にある小山で、同研究所は和歌にも詠まれた築山であり、広大な南殿の園池をしのばせる唯一の築山遺構と述べる。一帯は鳥羽離宮跡公園として整備されている。城南宮の神苑には、この秋の山に対して春の山が新しく造られている。城南宮は明治10年(1877)に式内社真幡寸神社として認定されて社名を改め、昭和27年(1952)に再び城南宮と称した。真幡寸神社は現在、城南宮境内の摂社として祀られている。

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