伏見港と三栖閘門|何があった場所か
京都市伏見区、宇治川と濠川が合流する地点に、鉄筋コンクリートの塔を立てた三栖閘門が残る。国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所の資料によれば、陸上交通が発達していなかった江戸から明治にかけて京都と大阪を結ぶ淀川舟運は重要な輸送手段であり、その流通拠点となった伏見港は京都の玄関口として繁栄した。京都府港湾局は、伏見港を1594年に豊臣秀吉が伏見城を築造する際につくられた河川港と説明する。転機は治水であった。同事務所によれば、1918年(大正7)に始まった淀川改修増補工事のうち、1922年(大正11)から着手した宇治川右岸の観月橋から三栖の間の築堤工事により、伏見港と宇治川との船の通航ができなくなった。そこで1929年(昭和4)3月31日、宇治川と濠川との合流点に三栖閘門が築かれた。同事務所は、有効長83メートル、閘室長73メートル、扉室幅8メートル、閘室幅11メートル、塔の高さ16.6メートルとし、鋼製ストーニーゲートの前扉を9メートル×5メートルで23.6トン、後扉を9メートル×9メートルで37.6トンと記録する。建設費は30万1241円13銭で、当時の大卒初任給は約70円であったという。完成した年には2万隻を超える船が通航した。同事務所によれば、淀川舟運は1962年(昭和37)になくなり、宇治川の改修と天ヶ瀬ダムの完成で水位が下がって閘門は役割を終えた。ただし閘門は今も堤防として働いている。旧操作室は三栖閘門資料館として復元され、入館料は無料である。閘室には水が引き込まれ、十石舟の船着場が設けられている。なお同事務所は、資料館周辺の宇治川展望スポットが閉鎖中であると告知している。痕跡は水面の外にもある。京都府によれば、伏見港公園は港の舟溜りを埋め立ててつくられ、園内には復元した三十石舟が置かれている。京都市観光協会が載せる現地の駒札の文は、宇治川派流の両岸の荷揚げ場を伏見浜と呼び、材木を揚げた場所に本材木町の町名が残ると述べる。経済産業省は2007年(平成19)に三栖閘門と旧操作室を近代化産業遺産の構成遺産に挙げ、土木学会は2010年度(平成22年度)に選奨土木遺産に選んでいる。
時のながれ
- 文禄3年(1594) — 京都府港湾局は、伏見港が豊臣秀吉の伏見城築造にあたってつくられた河川港であるとする。
- 大正7年(1918) — 淀川河川事務所は、淀川改修増補工事がこの年に始まったとする。
- 大正11年(1922) — 同事務所は、宇治川右岸の観月橋から三栖の間の築堤工事に着手し、伏見港と宇治川との船の通航ができなくなったとする。
- 大正15年(1926) — 淀川資料館の資料は、三栖閘門の工事が2月に着手されたとする。
- 昭和4年(1929) — 同事務所は、三栖閘門が3月31日に完成し、その年のうちに2万隻を超える船が通航したとする。
- 昭和37年(1962) — 同事務所は、淀川舟運がこの年になくなったとする。
- 昭和39年(1964) — 同事務所は、天ヶ瀬ダムの完成などで宇治川の水位が下がり、閘門が役割を終えたとする。
- 昭和42年(1967) — 京都府は、港の舟溜りを埋め立てた伏見港公園に子供プールとテニスコートが設けられたとする。
- 平成19年(2007) — 経済産業省の近代化産業遺産群33の構成遺産リストに、三栖閘門と三栖閘門資料館(旧操作室)が載る。
- 平成22年度(2010) — 土木学会は、三栖閘門を選奨土木遺産に選んでいる。
- 令和3年(2021) — 京都府は、伏見港が4月30日に川のみなとオアシス 水のまち 京都・伏見として登録されたとする。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所の三栖閘門の歩みは、1929年(昭和4)3月31日の完成、有効長83メートル、閘室長73メートル、扉室幅8メートル、閘室幅11メートル、塔の高さ16.6メートル、建設費30万1241円13銭を挙げている。
- 同事務所の三栖閘門の歴史は、1922年(大正11)から着手した宇治川右岸の観月橋から三栖の間の築堤で伏見港と宇治川との通航が絶たれたこと、閘門が今も堤防として働いていることを述べる。
- 同局淀川資料館の資料は、三栖閘門の工事が1926年(大正15)2月着手・1929年(昭和4)3月完成であり、2007年(平成19)11月に近代産業遺産に認定されたと記載する。
- 経済産業省の近代化産業遺産群33の構成遺産リストには、伏見の淀川水運関連遺産として三栖閘門と三栖閘門資料館(旧操作室)が載る。
- 土木学会の選奨土木遺産のページは、三栖閘門の選奨を2010年(平成22年度)、竣工年を昭和4年、塔の高さを16.6メートルとする。
- 京都府港湾局は、伏見港を1594年に豊臣秀吉が伏見城を築造する際につくられた地方港湾の河川港とし、宇治川の一部とその派流が港湾区域に指定されているとする。
- 京都府の伏見港公園の案内は、同公園が港の舟溜りを埋め立ててつくられ、昭和42年に子供プールとテニスコート、昭和57年に総合体育館が開いたとする。
- 京都市観光協会が載せる現地の駒札の文は、宇治川派流を伏見城の外堀であった濠川につながる水路と説明し、荷揚げ場の名残として本材木町の町名を挙げる。
そのため、このページではこうしています
- 完成年は複数の公的資料が1929年(昭和4)3月で一致するため、これを採用した。
- 水位差の具体的な数値は公的資料で裏が取れなかったため、水位が異なるという言い方に置き換えた。
- 塔に登れるかどうかは裏が取れないため、登ることを勧める表現を避け、淀川河川事務所が示す閉鎖の告知だけを紹介した。
- 一部の二次的な記述に三栖閘門を登録有形文化財とするものがあったが、京都市の国・登録有形文化財の伏見区一覧に三栖閘門は載っていないため、近代化産業遺産と選奨土木遺産だけを挙げた。
- 主題は水運と港湾に絞り、幕末の戦闘は扱わなかった。
- 閘門本体や堤防への立ち入りを促す表現は置かず、無料公開の資料館と広場の案内だけを示した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 宇治川と濠川の水位差を約4.5メートルとする数値は月桂冠の解説にあるが、国や京都府の資料では確認できなかった。
- 扉室の塔が4本であるという記述は月桂冠の解説にあるが、国土交通省の資料は塔の寸法のみを示す。
- 塔の屋上に登れるかどうかは公的資料で確認できなかった。淀川河川事務所は資料館周辺の宇治川展望スポットが閉鎖中であると告知している。
- 閘門が最後に船を通した年月日は確認できなかった。淀川河川事務所は70年の歴史に幕を下ろしたという言い方をしている。
- 淀川改修増補工事で三栖に築かれたとされる洗堰の現況は確認できなかった。
- 三栖閘門と伏見みなと広場が2003年(平成15)3月15日に開いたという記述は月桂冠の解説で確認したが、国や自治体の資料では確認できなかった。
- 閘門の位置を、淀川河川事務所は宇治川と濠川との合流点とし、同局淀川資料館の資料は三栖洗堰下流の高瀬川合流口とする。
- 京都市文化財保護課の解説は宇治川派流と濠川を同一の水路として説明し、京都市観光協会が載せる駒札の文は宇治川派流を濠川につながる水路として説明する。
- 伏見港の位置づけを、京都府港湾局は国内唯一の内陸河川港とし、京都市文化財保護課は日本最大規模の内陸河川港とする。
- 資料館の年末年始の休館日を、淀川河川事務所は12月27日から1月5日とし、近畿地方整備局港湾空港部の案内は12月29日から1月3日とする。
- 水辺の広場の名を、淀川河川事務所と京都市は伏見みなと広場とし、近畿地方整備局港湾空港部は伏見みなと公園とする。
- 高瀬川の開削年を、京都市は慶長16年(1611)とし、京都府の伏見港公園の解説は1614年とする。
参考・出典
- 三栖閘門の歩み
国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所 - 三栖閘門の歴史
国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所 - 資料館施設紹介
国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所 - 三栖閘門資料館 ご利用案内
国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所 - 三栖閘門 淀川改修増補工事
国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所 淀川資料館 - 川のみなとオアシス 水のまち 京都・伏見
国土交通省近畿地方整備局港湾空港部 - 川のみなとオアシス 水のまち 京都・伏見を登録します
国土交通省 - 近代化産業遺産群33 構成遺産リスト
経済産業省 - 三栖閘門 選奨土木遺産
土木学会 - 三栖閘門 選奨土木遺産 解説シート
土木学会 - 伏見港について
京都府建設交通部港湾局 - 伏見港公園(地区公園)
京都府建設交通部都市計画課 - 伏見港が川のみなとオアシスに登録されました
京都府建設交通部港湾局 - 京と大阪をつなぐ港まち・伏見
京都市文化財保護課 - 伏見区の歴史 江戸時代〜幕末 港湾商業都市の繁栄
京都市伏見区 - 国・登録有形文化財 伏見区
京都市文化市民局文化財保護課 - 宇治川派流域の歴史
京都市観光協会 京都観光Navi - 港町伏見と三栖閘門
月桂冠株式会社
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 巨椋池の干拓(京都府下最大の淡水湖が消えた国営干拓地)(水の痕跡・約1.6km)
- 鳥羽伏見の戦い 勃発地(小枝橋・鳥羽離宮跡公園)(戦の痕跡・約3.1km)
- 城南宮の方除と鳥羽離宮跡(方位の痕跡・約3.1km)
- 羅城門跡(平安京の正門・今は児童公園の石碑だけが残る)(地の痕跡・約6.3km)