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伏見港と三栖閘門|何があった場所か

位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-08-29

京都市伏見区、宇治川と濠川が合流する地点に、鉄筋コンクリートの塔を立てた三栖閘門が残る。国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所の資料によれば、陸上交通が発達していなかった江戸から明治にかけて京都と大阪を結ぶ淀川舟運は重要な輸送手段であり、その流通拠点となった伏見港は京都の玄関口として繁栄した。京都府港湾局は、伏見港を1594年に豊臣秀吉が伏見城を築造する際につくられた河川港と説明する。転機は治水であった。同事務所によれば、1918年(大正7)に始まった淀川改修増補工事のうち、1922年(大正11)から着手した宇治川右岸の観月橋から三栖の間の築堤工事により、伏見港と宇治川との船の通航ができなくなった。そこで1929年(昭和4)3月31日、宇治川と濠川との合流点に三栖閘門が築かれた。同事務所は、有効長83メートル、閘室長73メートル、扉室幅8メートル、閘室幅11メートル、塔の高さ16.6メートルとし、鋼製ストーニーゲートの前扉を9メートル×5メートルで23.6トン、後扉を9メートル×9メートルで37.6トンと記録する。建設費は30万1241円13銭で、当時の大卒初任給は約70円であったという。完成した年には2万隻を超える船が通航した。同事務所によれば、淀川舟運は1962年(昭和37)になくなり、宇治川の改修と天ヶ瀬ダムの完成で水位が下がって閘門は役割を終えた。ただし閘門は今も堤防として働いている。旧操作室は三栖閘門資料館として復元され、入館料は無料である。閘室には水が引き込まれ、十石舟の船着場が設けられている。なお同事務所は、資料館周辺の宇治川展望スポットが閉鎖中であると告知している。痕跡は水面の外にもある。京都府によれば、伏見港公園は港の舟溜りを埋め立ててつくられ、園内には復元した三十石舟が置かれている。京都市観光協会が載せる現地の駒札の文は、宇治川派流の両岸の荷揚げ場を伏見浜と呼び、材木を揚げた場所に本材木町の町名が残ると述べる。経済産業省は2007年(平成19)に三栖閘門と旧操作室を近代化産業遺産の構成遺産に挙げ、土木学会は2010年度(平成22年度)に選奨土木遺産に選んでいる。

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