「梅田=埋田」地名伝承|何があった場所か
梅田の地名は、低湿地を埋め立てて田にした「埋田(うめだ)」に由来するという説が広く知られる。かつてこの一帯が湿地だったことを示す地名の痕跡(なお「埋め墓として使われた田」に由来するという説も別途ある)。
時のながれ
- 江戸期 — 低湿地(下原)を埋め立てて田畑とし「埋田」と称したとされる(諸説の一つ)。
- 江戸期 — 「埋」の字を嫌い、露天神社・綱敷天神社ゆかりの「梅」の字を当て「梅田」に改称されたとする説がある。
- 1874 — 梅田(埋田)一帯に大阪—神戸間鉄道開通に伴い梅田ステンション(初代大阪駅)が開業。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- この伝承が北区史(1980年)や国立国会図書館のレファレンスなど、郷土史の資料に記録されていることを確認した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 地名の由来には諸説があり、「埋田」由来と確定できるものではない。
参考・出典
- 梅田の地名は埋田という地名が由来と聞いたが、詳しく知りたい。
国立国会図書館 レファレンス協同データベース - 第5弾 梅田ってどうやってできた?
UMEDA CONNECT(『北区史』1980年を引用) - 「梅田は埋田だった」証拠写真見つかる JR大阪駅で資料展示
梅田経済新聞
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
- 大坂七墓巡りの風習(噂の痕跡・約395m)
- 梅田墓所跡(うめきた)(死の痕跡・約402m)
- 中津川跡(新淀川に呑まれた旧河道・北区中津)(水の痕跡・約402m)
- お初天神(露天神社)と曽根崎心中(噂の痕跡・約539m)