「梅田=埋田」地名伝承|何があった場所か
調査中の記録 この地点は、場所と要約・出典だけを置いた記録のページである。資料の確認がまとまったものから、詳しいページに改めていく。
梅田の地名は、低湿地を埋め立てて田にした「埋田(うめだ)」に由来するという説が広く知られる。かつてこの一帯が湿地だったことを示す地名の痕跡(なお「埋め墓として使われた田」に由来するという説も別途ある)。

近くの痕跡
- 大坂七墓巡りの風習(噂の痕跡・約395m)
- 梅田墓所跡(うめきた)(死の痕跡・約402m)
- 中津川跡(新淀川に呑まれた旧河道・北区中津)(水の痕跡・約402m)
- お初天神(露天神社)と曽根崎心中(噂の痕跡・約539m)
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この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 梅田の地名は埋田という地名が由来と聞いたが、詳しく知りたい。
国立国会図書館 レファレンス協同データベース - 第5弾 梅田ってどうやってできた?
UMEDA CONNECT(『北区史』1980年を引用) - 「梅田は埋田だった」証拠写真見つかる JR大阪駅で資料展示
梅田経済新聞
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :時のながれの「埋田」の項の時代を「江戸期」から「中世(15世紀の文書に見える)」に改め、寛正2年(1461年)の中島崇禅寺領目録に「埋田之内角田」の名が見えることを書き足した。出典のレファレンス事例が引く『日本歴史地名大系』がそう記すためだ。編集部の調査メモのレファレンスの出どころも、回答した大阪市立中央図書館の名に改めた。
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