梅田墓所跡(うめきた)|何があった場所か

「大坂七墓」の一つ・梅田墓があった地。うめきた再開発の発掘調査(2019-2020年)では、1,700体超の土葬埋葬の跡が確認された(報告書)。調査途中の報道では1,500体超とされていた。
時のながれ
- 江戸期(貞享年間 1684-1687年) — 曽根崎村周辺に散在していた墓所が梅田村(現うめきた南西部)へ再移転され、大坂七墓の一つ「梅田墓」として営まれた。
- 明治期(1887年頃) — 有縁の墓石・遺骨は市内各所へ再移転されたが、縁者のいない無縁仏の一部は移転されずに残り、後に鉄道用地(梅田貨物駅)の下となった。
- 2019-2020年 — うめきた2期再開発に伴い、大阪市教育委員会・大阪市文化財協会が北区大深町遺跡を発掘調査し、2019〜2020年の調査で1,700体超の土葬埋葬の跡が確認された(調査途中の2020年8月の報道では1,500体超)。蔵骨器も出土した。
現地の写真



近くの痕跡
- 大坂七墓巡りの風習(噂の痕跡・約118m)
- 「梅田=埋田」地名伝承(地の痕跡・約402m)
- 中津川跡(新淀川に呑まれた旧河道・北区中津)(水の痕跡・約424m)
- 曽根崎川(蜆川)跡(水の痕跡・約876m)
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 墓所跡の発見は、大阪市教育委員会の発表を伝えた報道と、大阪歴史博物館の写真展の案内で確認した。
- 出土した人骨の数は、2020年の発表時点で1,500体超、その後の公式の案内では1,700体超と、調査の進展にともなって更新されている。
現地確認: 実施済み
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
5件出典に基づいて掲載している
- 発掘された庶民の墓 梅田墓 ―大阪市教育委員会・(一財)大阪市文化財協会による発掘調査 写真展―
大阪歴史博物館(大阪市博物館機構) - 1500体超の埋葬人骨を発見/うめきた2期区域の西南端で梅田墓を発掘調査/大阪市
建設ニュース - 大阪市教育委員会は、うめきた2期で梅田墓(大深町遺跡)を発掘し、1500体以上の人骨が出土したと発表
宗教情報センター(公益財団法人国際宗教研究所) - 大深町遺跡発掘調査報告1
奈良文化財研究所「全国文化財総覧」 - 大深町遺跡発掘調査報告2
奈良文化財研究所「全国文化財総覧」
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :参考・出典の写真展の案内ページの発行元を、「大阪市文化財協会」から、ページの実際の発行元である大阪歴史博物館に改めた。編集部の調査メモの「文化財協会の公式発表で確認した」も、確かめた資料は大阪市教育委員会の発表を伝えた報道と博物館の写真展の案内だったため、そのとおりに改めた。
- :時のながれの2019-2020年の項を改めた。2019〜2020年の調査で確認されたのは1,700体超の土葬埋葬の跡とし、1,500体超は調査途中の2020年8月の報道の数であることを添えた。蔵骨器の「350点超」は出典で確かめられないため数を外した。報告書2件を参考・出典に加えた。
- :説明文の「1,500体超(のちの公式案内では1,700体超)の埋葬人骨が出土した」を、「1,700体超の土葬埋葬の跡が確認された(報告書)。調査途中の報道では1,500体超」と改めた。10月7日に時のながれを報告書の数に合わせたが、説明文が古い書き方のまま残っていたため合わせた。
この場所について
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