大坂七墓巡りの風習|何があった場所か
江戸時代、盆の夜に大坂七墓(梅田・南浜・葭原・蒲生・小橋・千日・鳶田など)を一晩で巡って無縁仏を供養する「七墓巡り」という風習があったと伝わる。
時のながれ
- 江戸期 — 貞享・元禄(1680年代〜1704年頃)から明治初期にかけて、盂蘭盆(お盆)の夜に大坂七墓を巡拝し無縁仏を供養する「七墓巡り」が流行したと複数の郷土史資料に記載がある。
- 2017-2020 — 七墓の一つ梅田墓では大阪市教育委員会・大阪市文化財協会による発掘調査が行われ、江戸末期〜明治初期の墓地遺構・埋葬人骨(累計1500体超)が確認された。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- この風習があったことは、国立国会図書館のレファレンス(『大阪史蹟辞典』『上方』第56号)で確認した。
そのため、このページではこうしています
- この風習は市内7か所にまたがるもので、ひとつの地点で示せるものではない。ピンは七墓の一つ・梅田墓所跡の位置にあり、風習全体の代表点ではない。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 七墓がどの7か所を指すかには諸説がある。
参考・出典
- 大坂七墓 - Wikipedia
Wikipedia(脚注に学術文献あり) - 元禄~宝永頃に流行った、大阪の七墓めぐりについて記載されている資料を見たい。
国立国会図書館 レファレンス協同データベース - 発掘された庶民の墓 梅田墓
大阪市博物館機構(大阪歴史博物館)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
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