大坂七墓巡りの風習|何があった場所か
江戸時代、盆の夜に大坂七墓(梅田・南浜・葭原・蒲生・小橋・千日・鳶田など)を一晩で巡って無縁仏を供養する「七墓巡り」という風習があったと伝わる。

近くの痕跡
- 梅田墓所跡(うめきた)(死の痕跡・約118m)
- 中津川跡(新淀川に呑まれた旧河道・北区中津)(水の痕跡・約315m)
- 「梅田=埋田」地名伝承(地の痕跡・約395m)
- 「豊崎」地名と難波長柄豊碕宮伝承(豊崎神社)(地の痕跡・約864m)
時のながれ
- 江戸期 — 貞享・元禄(1680年代〜1704年頃)から明治初期にかけて、盂蘭盆(お盆)の夜に大坂七墓を巡拝し無縁仏を供養する「七墓巡り」が流行したと複数の郷土史資料に記載がある。
- 2017-2020 — 七墓の一つ梅田墓では、2017年と2019〜2020年に発掘調査が行われ、埋葬人骨は2017年の調査で200体超、2019〜2020年の調査で1,700体超が確認された。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- この風習があったことは、京都府立京都学・歴彩館のレファレンス事例(国立国会図書館レファレンス協同データベース。『大阪史蹟辞典』『上方』第56号を引く)で確認した。
そのため、このページではこうしています
- この風習は市内7か所にまたがるもので、ひとつの地点で示せるものではない。ピンは七墓の一つ・梅田墓所跡の位置にあり、風習全体の代表点ではない。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 七墓がどの7か所を指すかには諸説がある。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
5件出典に基づいて掲載している
- 大阪七墓 - Wikipedia
Wikipedia(脚注に学術文献あり) - 元禄~宝永頃に流行った、大阪の七墓めぐりについて記載されている資料を見たい。
国立国会図書館 レファレンス協同データベース - 発掘された庶民の墓 梅田墓
大阪市博物館機構(大阪歴史博物館) - 大深町遺跡発掘調査報告1
奈良文化財研究所「全国文化財総覧」 - 大深町遺跡発掘調査報告2
奈良文化財研究所「全国文化財総覧」
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :編集部の調査メモの、七墓巡りの風習を確かめた資料の出どころを「国立国会図書館のレファレンス」から、回答した京都府立京都学・歴彩館のレファレンス事例に改めた。国立国会図書館は、事例を載せるデータベースの運営元であるためだ。参考・出典のWikipediaの表題も、ページの実際の表題「大阪七墓」に合わせた。
- :時のながれの2017-2020年の項の「埋葬人骨(累計1500体超)」を改めた。発掘調査は2017年と2019〜2020年に行われ、埋葬人骨は2017年の調査で200体超、2019〜2020年の調査で1,700体超が確認されたと、奈良文化財研究所の全国文化財総覧に載る発掘調査報告書2件を出典に加えて書き直した。
この場所について
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