曽井城跡(保曽井神社裏手の丘)|何があった場所か

四日市市曽井町、保曽井神社の裏手に広がる丘が城跡と伝わる丘城。平安末期に伊勢平氏の一族が居城としたとされ、主郭は北へ東西に延びる丘陵の頂部に置かれていたと考えられている。城そのものの遺構は判然とせず、神社境内の由緒板と道沿いの標識が城跡を示す手がかりになっている。神社より上は立入禁止のため、丘の頂部までは入れない。
時のながれ
- 文治年間(1185〜90) — 志村右衛門尉曽(曽井入道)が居城としたと伝わる(人物名は神社の由緒板では「志村右衛門忠春」と記される)。
- 鎌倉初期 — 城主は伊勢平氏の一族として三日平氏の乱に加わり、平賀朝雅に敗れたと伝わる。
- 天正5年(1577) — 織田信長の兵火を恐れ、城の氏神が現在の保曽井神社の地へ移されたと神社の由緒板に記される。
- 現代 — 神社裏手の丘が城跡とされ、境内の由緒板と道沿いの標識が残る。丘の上は立入禁止となっている。
現地の写真


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近くの痕跡
- 四日市空襲の中心被災地と殉難碑(鵜の森公園)(戦の痕跡・約4.6km)
- 「四日市」の地名由来(四のつく日の定期市)(地の痕跡・約5.1km)
- 泊の外人墓地(通称)(噂の痕跡・約5.4km)
- 日永の追分(東海道と伊勢街道の分岐・県史跡)(地の痕跡・約6.0km)
参考・出典
- 現地由緒板(保曽井神社境内)
保曽井神社(現地掲示・2026-08-12 撮影確認) - 伊勢 曽井城/城跡巡り備忘録
個人サイト(補助資料) - 曽井城/隠れた古城
個人サイト(補助資料)