「四日市」の地名由来(四のつく日の定期市)|何があった場所か
毎月四のつく日に市が開かれたことに由来するとされる市名。文明5年(1473)の外宮庁宣に「四ヶ市庭浦」と見え、中世には三滝川河口付近(現在の北町周辺)に市庭が形成されていたと伝わる。

近くの痕跡
- 四日市空襲の中心被災地と殉難碑(鵜の森公園)(戦の痕跡・約1.2km)
- 東海道名残りの一本松(日永の縄手跡)(地の痕跡・約3.9km)
- 日永の要塞砲(南日永こども広場・通称「大砲公園」)(戦の痕跡・約4.1km)
- 日永の追分(東海道と伊勢街道の分岐・県史跡)(地の痕跡・約4.8km)
時のながれ
- 鎌倉時代・承元元年(1207) — 鴨長明『伊勢記』に「浜村」の地名が見え、これが後の四日市を指すものといわれる。
- 室町時代・文明2年(1470) — 浜田城を築いた田原美作守忠秀が、領内の殖産振興のため市場を形成したとされる。
- 室町時代・文明5年(1473) — 6月の外宮庁宣(『日本歴史地名大系』は「文明年中宮司引付」神宮文庫蔵所収と記す)に「四ヶ市庭浦」の名が初めて見え、この頃すでに定期市が立っていたことがうかがえる。
- 戦国時代・弘治〜永禄年間(1555〜1570) — 市場が整い、毎月四のつく日(四日・十四日・二十四日)の定期市が定着。これが「四日市」の名の起こりとされる。
- 江戸時代 — 東海道五十三次の43番目の宿場町として栄え、宿の中心・札の辻からは菰野道や港へ向かう浜往還が延びた。
- 大正〜現在 — 大正11年(1922)開設の三滝川慈善橋市場をはじめ、市名のルーツである定期市の伝統が今も市内各所で続く。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 四日市市の年表・定期市の解説と『日本歴史地名大系』を照合し、毎月4日・14日・24日の市にちなむ地名由来を確認した。「四ヶ市庭浦」の初出を文明5年(1473年)とする点は三つの掲載資料で一致し、6月とするのは『日本歴史地名大系』と『日本大百科全書』である。
そのため、このページではこうしています
- 1470年の市場形成、1473年の地名初出、1555〜1570年頃の定期市開始は、それぞれ異なる出来事であり、矛盾ではない。
- ピンの位置(北町の周辺)は『世界大百科事典』の記述だけに基づく推定である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 四のつく日が市日に選ばれた理由は、確認した資料では分からなかった。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
7件出典に基づいて掲載している
- 沿革、四日市の歴史(年表)
四日市市役所 - 定期市について
四日市市役所 - 第3章 四日市市の歴史文化の特徴(地区ごとの歴史文化の特徴)
四日市市教育委員会 - 四日市(改訂新版世界大百科事典・日本大百科全書ほか)
コトバンク(平凡社ほか) - 四日市市(日本歴史地名大系・ブリタニカ国際大百科事典ほか)
コトバンク(平凡社ほか) - 第1回 四日市の始まり
YOUよっかいち(地域ニュースサイト) - 四日市市
Wikipedia(補助資料)
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :参考・出典の表題と編集部の調査メモ、時のながれを1か所ずつ改めた。コトバンクの「四日市」の項に日本歴史地名大系は載っていないため、表題の辞典名を改めた。「四ヶ市庭浦」の初出を文明5年(1473年)とする点は三つの資料で一致するが、6月まで記すのは二つだけなので、そのとおりに書いた。外宮庁宣を収める文書の名も、日本歴史地名大系の記す「文明年中宮司引付」に改めた。
この場所について
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