采女城跡(後藤氏の居城と伝わる山城)|何があった場所か

内部川と足見川の合流点を望む丘に築かれた戦国期の山城跡。3本の尾根に9つの郭が展開し、主郭には深さ6.5mの井戸が残る。後藤氏の居城として約300年続いたと伝わり、織田信長の伊勢侵攻で落城したとされる(年には諸説)。現在は市民緑地として保存会が道を整備している。
時のながれ
- 文応元年(1260)と伝わる — 後藤家の系図に、後藤基秀が采女郷の地頭職に任ぜられ宇野部山(采女山)に城を築いたと伝わる(文治年中・基清築城の説もある)。
- 戦国期 — 後藤氏の居城として約15代・300年続いたと伝わる(『布留屋草紙』)。
- 永禄11年(1568)と伝わる — 織田信長の伊勢侵攻で滝川一益に攻められ落城したと伝わる。ただし保存会は史料の矛盾から元亀3年(1572)説を最有力と評価しており、落城年には諸説ある。城主が火中で自刃し、姫や奥方が井戸に身を投げたという伝承が語り継がれ、保存会の説明板にも記されている。
- 2003年(平成15) — 采女城跡保存会が設立され、遊歩道や標識の整備が始まる。
- 2011年(平成23) — 四日市市の市民緑地に指定される(9月1日開設)。
- 2022年(令和4) — 登城口に冠木門が設置される(四日市中央ライオンズクラブ創立50周年記念の寄贈)。
現地の写真





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参考・出典
- 史跡遺跡 - 内部地区公式サイト
内部地区まちづくり推進協議会 - 采女城跡ガイドブック
采女城跡保存会 - 冠木門設置(2022年9月)
内部地区まちづくり推進協議会 - 采女城 - 攻城団
攻城団(補助資料)