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戦 戦の痕跡 資料確認済み

百々橋の礎石(応仁の乱で東西両軍が争った橋の跡)|何があった場所か

位置精度: 地点特定

応仁の乱で細川勝元の東軍と山名宗全の西軍が、この橋を隔てて数度の合戦を行ったと伝わる百々橋の礎石。橋が架かっていた小川(こかわ)は昭和38年(1963)に埋め立てられて姿を消し、礎石だけが消えた川と戦乱の記憶を伝えている。

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