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百々橋の礎石(応仁の乱で東西両軍が争った橋の跡)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-08-17

応仁の乱で細川勝元の東軍と山名宗全の西軍が、この橋を隔てて数度の合戦を行ったと伝わる百々橋の礎石。橋が架かっていた小川(こかわ)は昭和38年(1963)に埋め立てられて姿を消し、礎石だけが消えた川と戦乱の記憶を伝えている。礎石は室町小学校の校庭と当地に1基ずつ保存され、橋材の大部分は洛西竹林公園に復元されている。

百々橋の礎石(応仁の乱で東西両軍が争った橋の跡)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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