応仁の乱 勃発地(御霊神社・御霊合戦の旧跡)|何があった場所か
1467年(文正2)1月18日早朝、御霊神社(上御霊神社)の森で畠山政長と畠山義就の合戦が起こり、応仁の乱の最初の戦闘(御霊合戦)の地と伝わる。神社前には京都市が昭和45年に建てた「応仁の乱勃発地」の石標が、境内には「応仁の乱発端 御霊合戦舊跡」の石碑が立ち、京都市の駒札が経緯を伝えている。

近くの痕跡
- 鴨川(賀茂川)の氾濫史(出雲路橋周辺・昭和10年大水害)(水の痕跡・約481m)
- 薩摩藩邸跡(二本松屋敷・同志社大学西門前の石標)(地の痕跡・約750m)
- 百々橋の礎石(応仁の乱で東西両軍が争った橋の跡)(戦の痕跡・約882m)
- 猿ヶ辻(京都御所の築地塀で鬼門の角だけを欠いた一画)(方位の痕跡・約1.0km)
時のながれ
- 1467年(文正2)1月17日夜 — 失脚した管領・畠山政長が自邸を焼き、上御霊神社の森に約2千の兵で布陣したと伝わる
- 1467年1月18日 — 家督を争う畠山義就が3千余の兵で攻め、終日激しい戦闘が続いた(御霊合戦)
- 1467年(応仁元)3月〜5月 — 3月に年号が応仁と改まり、5月から上京を中心に東西両軍の全面的な戦闘にはいる
- 昭和45年(1970)3月 — 京都市が神社前に「応仁の乱勃発地」の石標を建てる
- 2017年(平成29) — 応仁の乱550年にあわせ、境内に「応仁の乱発端 御霊合戦舊跡」の石碑が建立される
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 京都市の公式(京都観光Navi)の駒札で、文正2年1月18日早朝の上御霊神社の森での合戦から応仁の乱が始まったこと、政長方約2千と義就方3千余が終日戦ったこと、5月から東西両軍の本格的な戦闘へ移ったことを確認した。2017年、乱から550年を機に境内へ石碑が建てられている。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- この地を「応仁の乱の前哨戦・発祥の地とされる」という表現にとどめる資料もあり、開戦地としての位置づけには資料により幅がある。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 応仁の乱勃発地|京都観光Navi
京都市(公式観光サイト) - 上御霊神社 - Wikipedia
Wikipedia(補助資料) - 応仁の乱勃発地(いしぶみデータベース KA030)
京都市(京都市歴史資料館)
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :説明文と時のながれの2項目を改め、参考・出典に1件を加えた。主な変更は、二つの石碑を一つにまとめていたのを分けたことだ。「応仁の乱勃発地」の石標は京都市が昭和45年(1970)に神社前に建てたもので、2017年に境内に建った碑の碑文は「応仁の乱発端 御霊合戦舊跡」である。応仁への改元も5月ではなく3月で、5月は全面的な戦闘が始まった月だと分けた。加えたのは京都市のいしぶみデータベースの石標のページだ。
この場所について
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