鈴ヶ森刑場跡(東海道に面した刑場と、大経寺に集められた台石・題目供養塔)|何があった場所か
鈴ヶ森刑場は、慶安4年(1651)から明治4年(1871)まで東海道に面して置かれていた江戸の刑場である。跡地は東京都品川区南大井2-5-6の日蓮宗大経寺の境内にあたり、処刑に使われたといわれる台石が集められ、首洗いの井戸や供養塔が残る。京急線大森海岸駅から歩いて7分。
品川区南大井2-5-6。品川区は「区内にある都および国の指定文化財」の一覧で、都指定文化財の旧跡の部に「鈴ヶ森遺跡(南大井2丁目)」を挙げ、所在地を「南大井2-5-6 大経寺内」、所有者(管理者)を大経寺とする。しながわ観光協会は、鈴ヶ森刑場が小塚原(荒川区)とならぶ江戸の処刑場で、慶安4年(1651)に開設されたと記す。跡地はいま文久2年(1862)に開かれた日蓮宗大経寺の境内にあたり、処刑に使用したといわれる台石や首洗いの井戸などが残されているほか、近代以降の様々な供養塔が建てられている、と同じ案内は続ける。
刑場の広さは数字で残っている。同じ案内は、東海道に面しており元禄8年(1695)の検地によると、間口40間(約74m)、奥行8間(約16.2m)の規模があったと記す。交通は京急線大森海岸駅から徒歩7分。74メートル×16メートルという寸法は、境内をひと回りすれば端から端まで届く広さである。
なぜ東海道沿いのこの場所だったのかは、大経寺が書いている。それまで江戸の刑場は北の浅草・南の芝の二ヶ所に設けられていたが、幕府成立から半世紀近くたち人口も増え、刑場付近まで人家が立ち並ぶようになったので、より人目につかないところへ移されることになった、と同寺は記す。芝から移されたのがこの鈴ヶ森刑場だと歴史の書に記されている、とも続ける。街道沿いという立地は、街道を選んだのではなく、人家から離れた場所を選んだ結果として書かれている。
「鈴ヶ森」という名の由来も資料に残っている。大経寺は、当時は目の前に海岸線が開けており、刑場は波打ち際にあった1本の老松にちなんで「一本松」と呼ばれていたが、大井村の隣の不入斗(いりやまず)村に鈴ヶ森八幡があったことから、いつの間にか「鈴ヶ森」と呼ばれるようになったといわれる、と記す。しながわ観光協会は同じ社を「鈴森八幡宮(現磐井神社)」と書き、鈴ヶ森の名はそこに由来するとする。刑場の名は、刑場そのものではなく、隣の村の八幡から来ている。
刑場は明治4年(1871)に廃止された。大経寺は、処刑に使われた台石や多くの供養塔が境内に集められ、昭和29年には「鈴ヶ森刑場跡」として東京都史蹟の指定を受けたと記す。境内に並ぶ石は、集められた石である。歌舞伎『浮世柄比翼稲妻(鈴ヶ森)』で有名な題目供養塔は、高さ3m超の石塔にひげ文字で南無妙法蓮華経と書かれ、裏面には元禄11年(1698)の年号とこの供養塔を建立した法春比丘尼、谷口氏の名が刻まれている、としながわ観光協会は記す。

近くの痕跡
- 加瀬山の古墳群と「夢見ヶ崎」の地名(太田道灌が城をあきらめたと伝わる台地)(地の痕跡・約8.0km)
- 「越中島」の地名由来(榊原越中守の別邸があった寄洲)(地の痕跡・約9.8km)
- 波除碑(寛政の高潮が定めた「住んではいけない」境界)(水の痕跡・約10.3km)
- 富岡八幡宮と永代島(深川埋立の起点)(地の痕跡・約10.5km)
時のながれ
- 慶安4年(1651年) — 大井村浜川の東海道往還西側の五反歩を召し上げて刑場がつくられたと大経寺は記す。それまでの江戸の刑場は北の浅草・南の芝の二ヶ所で、人家が立ち並ぶようになったため人目につかないところへ移された。
- 元禄8年(1695年) — 検地によると、東海道に面して間口40間(約74m)、奥行8間(約16.2m)の規模があったとしながわ観光協会は記す。
- 元禄11年(1698年) — 題目供養塔の裏面に刻まれた年号。建立した法春比丘尼、谷口氏の名も刻まれている。
- 文久2年(1862年) — 日蓮宗大経寺が開かれる。刑場の跡地は、いまこの境内にあたる。
- 明治4年(1871年) — 刑場が廃止される。
- 昭和29年(1954年) — 「鈴ヶ森刑場跡」として東京都史蹟の指定を受けたと大経寺は記す。品川区は都指定文化財の一覧に旧跡「鈴ヶ森遺跡」として載せる。
- 現在 — 処刑に使われた台石と近代以降の供養塔が大経寺の境内に集められ、首洗いの井戸などが残る。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 品川区の「区内にある都および国の指定文化財」(更新日:令和4年3月18日)は、都指定文化財の旧跡の部に「鈴ヶ森遺跡(南大井2丁目)」を挙げ、所在地を「南大井2-5-6 大経寺内」、所有者(管理者)を「大経寺」とする。
- しながわ観光協会は、鈴ヶ森刑場が小塚原(荒川区)とならぶ江戸の処刑場で、慶安4年(1651)に開設されたと記す。
- 同じ案内は、東海道に面しており元禄8年(1695)の検地によると、間口40間(約74m)、奥行8間(約16.2m)の規模があったと記す。
- 同じ案内は、現在は文久2年(1862)に開かれた日蓮宗大経寺の境内にあり、処刑に使用したといわれる台石や首洗いの井戸などが残されているほか、近代以降の様々な供養塔が建てられていると記す。
- 同じ案内は、歌舞伎『浮世柄比翼稲妻(鈴ヶ森)』で有名な題目供養塔について、高さ3m超の石塔にひげ文字で南無妙法蓮華経と書かれ、裏面には元禄11年(1698)の年号とこの供養塔を建立した法春比丘尼、谷口氏の名が刻まれていると記す。
- 同じ案内は、住所を〒140-0004 東京都品川区南大井2-5-6(大経寺内)、交通アクセスを京急線 大森海岸駅 徒歩7分とする。
- 大経寺(品川区が都指定文化財の所有者・管理者として記す寺)は、鈴ヶ森刑場が慶安4年(1651)に、大井村浜川の東海道往還西側の五反歩を召し上げてつくられたと記す。
- 同じ案内は、それまで江戸の刑場は北の浅草・南の芝の二ヶ所に設けられていたが、幕府成立から半世紀近くたち人口も増え、刑場付近まで人家が立ち並ぶようになったので、より人目につかないところへ移されることになった、と記す。
- 同じ案内は、芝から移されたのがこの鈴ヶ森刑場だと歴史の書に記されている、と記す。
- 同じ案内は、当時は目の前に海岸線が開けており、刑場は波打ち際にあった1本の老松にちなんで「一本松」と呼ばれていたが、大井村の隣の不入斗(いりやまず)村に鈴ヶ森八幡があったことから、いつの間にか「鈴ヶ森」と呼ばれるようになったといわれる、と記す。
- 同じ案内は、明治4年(1871)に廃止されるまで数多くの有名無名の人たちがここで処刑されてきたとし、それらの処刑に使われた台石や多くの供養塔が日蓮宗大経寺の境内に集められ、昭和29年には「鈴ヶ森刑場跡」として東京都史蹟の指定を受け、品川百景のひとつにも選ばれる貴重な文化遺跡になっていると記す。
- 同じ案内は、江戸には東海道沿いの「鈴ヶ森刑場」、日光街道沿いの「小塚原刑場(荒川区南千住2丁目)」、八王子・浅川河原(八王子市大和田町)の「大和田刑場」と3ヶ所の処刑場があったと記す。
- 座標は国土地理院の住所検索で「東京都品川区南大井二丁目5番6号」が経度139.73674・緯度35.592155 を返すことを確認し、逆ジオコーダで muniCd=13109(品川区)・lv01Nm=南大井二丁目 にあたることを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 刑場の跡地は、いま日蓮宗大経寺の境内である。刑を受けた人たちの供養のために建てられた寺で、いまも供養が営まれている場所である。
- 境内に並ぶ台石は集められたものだと大経寺は記す。石が置かれている位置は、刑場で使われていたときの位置ではない。
- 資料が示す刑場の範囲は「東海道に面した間口40間・奥行8間」までで、その範囲が現在のどの区画にあたるかを示す図面は見あたらない。
- 都の指定の種別と名称は、品川区の一覧と大経寺の案内で食い違う。どちらが現在の正式な指定かは、都のデータベースが改修中のため確かめられなかった。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 都の指定年月日を示す東京都の資料には到達できなかった。東京都教育委員会の「都内の文化財情報」は、東京都文化財情報データベースが改修中で閲覧できないとしている。昭和29年という年は大経寺の案内による。
- 刑場で刑を受けた人数を示す公的な資料には到達できなかった。
- 火炙台・磔台といった個別の遺構の名を挙げる品川区・東京都の説明には到達できなかった。しながわ観光協会は「処刑に使用したといわれる台石」とまとめて記す。
- 間口40間・奥行8間という範囲が、現在のどの区画にあたるかを示す図面のある公的資料には到達できなかった。
- 大経寺の開創の経緯を示す品川区・東京都の資料には到達できなかった。文久2年という開創年はしながわ観光協会による。
- 台石がいつ境内に集められたのかを示す資料には到達できなかった。
- 都の指定の呼び方が資料で揃わない。品川区は都指定文化財の一覧に種別「旧跡」・名称「鈴ヶ森遺跡」として載せる。大経寺は「昭和29年には『鈴ヶ森刑場跡』として東京都史蹟の指定を受け」と記す。種別(旧跡/史蹟)も名称(鈴ヶ森遺跡/鈴ヶ森刑場跡)も一致しない。
- 地名の由来になった社の名が揃わない。大経寺は「鈴ヶ森八幡」、しながわ観光協会は「鈴森八幡宮(現磐井神社)」と記す。村の名は両者とも不入斗村で一致する。
- 郵便番号が揃わない。しながわ観光協会は〒140-0004、大経寺は〒140-0013 とする。町名・丁目・番地(南大井2-5-6)は一致する。
この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
4件出典に基づいて掲載している
- 鈴ヶ森刑場跡・題目供養塔
しながわ観光協会(一般社団法人) - 区内にある都および国の指定文化財
品川区(公式) - 東京都史蹟 鈴ヶ森刑場跡
大経寺(品川区が都指定文化財の所有者・管理者として記す寺) - 都内の文化財情報
東京都教育委員会
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :要約の冒頭に、所在地と現状の要約を足した。刑場がどこにあり、跡地がいまどうなっているかが、これまでの要約の先頭からは分からなかったため。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。