願証寺跡(長良川の底に沈んだ杉江の寺)|何があった場所か
長島一向一揆の拠点だった願証寺は、跡地に立つことができない。三重県の散策案内は、長島一向一揆の頃の長島願証寺は現在、長良川の底(杉江地区)になっている、と記す。桑名市も、もともと寺は杉江(長島町杉江)にあったとしたうえで、杉江にあった寺跡は明治期の河川改修工事によって長良川の川底に沈んでしまいました、と書く。二つの資料が、同じことを別の言い方で記している。
寺跡を沈めた側の記録も残っている。国土交通省木曽川下流河川事務所は、明治政府が河川や港湾の工事を行うためオランダから10人の技師団を招き、その一人ヨハニス・デ・レイケが明治11年から木曽三川流域を山から海までじっくりと調べて回り、その結果をもとに改修計画を作成したと記す。同じ事務所は、明治20年から25年間をかけて三川分流工事が行われ、木曽三川はほぼ現在の姿になったとする。計画の主な内容には、木曽三川を完全分流する、佐屋川を廃川にする、高須輪中に長良川新川を通す、といった項目が並ぶ。川の位置そのものを引き直す工事だった。
桑名市が書く「明治期の河川改修工事」がこの三川分流工事を指すのかどうかは、公的な資料では確かめられなかった。分かっているのは、一揆の拠点だった寺の跡が、いま川の下にあるということまでである。杉江という地名は、桑名市長島町の区域の名として、いまも地上に残っている。

近くの痕跡
- 長島城跡(一向一揆の本城と、本丸の西南隅にあった大松)(戦の痕跡・約3.9km)
- 願證寺と長島一向一揆殉教の碑(又木で三度名を替え、明治9年に願証寺を名乗った寺)(死の痕跡・約4.3km)
- 「四日市」の地名由来(四のつく日の定期市)(地の痕跡・約17.5km)
- 曽井城跡(保曽井神社裏手の丘)(戦の痕跡・約17.9km)
時のながれ
- 1570年(元亀元年)〜1574年 — 杉江にあった長島願証寺が、一揆の拠点になる。
- 明治11年(1878年) — ヨハニス・デ・レイケが木曽三川流域を調べ始め、改修計画を作成したと国土交通省は記す。
- 明治20年(1887年)から25年間 — 三川分流工事が行われ、木曽三川はほぼ現在の姿になる。
- 明治期 — 杉江にあった寺跡が、河川改修工事によって長良川の川底に沈んだと桑名市は記す。
- 現在 — 寺跡は長良川の底にあり、杉江の名は桑名市長島町の区域名として地上に残る。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 三重県の「城下町長島の歴史を訪ねて(全行程約5km)」は、長島一向一揆の頃の長島願証寺は現在、長良川の底(杉江地区)になっていると記す。
- 桑名市の願證寺の案内は、もともと寺は杉江(長島町杉江)にあったとし、杉江にあった寺跡は明治期の河川改修工事によって長良川の川底に沈んでしまいましたと記す。
- 国土交通省中部地方整備局木曽川下流河川事務所は、明治政府が河川や港湾の工事を行うためオランダから10人の技師団を招き、その一人ヨハニス・デ・レイケが明治11年から木曽三川流域を山から海までじっくりと調べて回り、その結果をもとに改修計画を作成したと記す。
- 同じ事務所は、明治20年から25年間をかけて三川分流工事が行われ、木曽三川はほぼ現在の姿になったと記し、改修計画の主な内容として木曽三川を完全分流する、佐屋川を廃川にする、立田輪中に木曽川新川を通す、高須輪中に長良川新川を通す、油島洗堰を完全に締切る、船頭平に閘門を設ける、木曽川・揖斐川の河口に導流堤を設けるを挙げる。
- 同じ事務所は、木曽川・長良川・揖斐川の三本の川が網目のようにつながっているため、濃尾平野では雨が降るたびに水があふれ出したと記す。
- 「杉江」が現在も桑名市(団体コード24205)の区域名として使われていることを、国土地理院の逆ジオコーダで確認した。
そのため、このページではこうしています
- この地点には、見るためのものが何も無い。跡地が川の下にあるという事実だけが資料に残っている。
- ピンの位置は区域を示すための概略点であり、寺跡の位置ではない。寺跡を一点の座標で示せる資料は見あたらない。
- 跡地は川の中にあたる。水辺に近づいて確かめられる場所ではない。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 川底に沈んだ寺跡の位置を示す座標・図面のある公的資料には到達できなかった。ピンは杉江の区域内に置いた概略の点である。
- 桑名市が記す「明治期の河川改修工事」が、国土交通省の記す明治20年からの三川分流工事と同じ工事を指すのかは確かめられなかった。
- 寺跡が水没した年を示す公的資料には到達できなかった。
- 水没前に発掘調査や記録が行われたかどうかを示す資料には到達できなかった。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
4件出典に基づいて掲載している
- 願證寺
桑名市(公式) - 城下町長島の歴史を訪ねて(全行程約5km)
三重県(三重の文化) - 治水の歩み 明治改修1(明治時代中期)
国土交通省 中部地方整備局 木曽川下流河川事務所 - 治水の歩み 濃尾平野の成り立ち(大昔)
国土交通省 中部地方整備局 木曽川下流河川事務所
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :見出しの「長良川の底になった杉江」を「長良川の底に沈んだ杉江の寺」に改めた。出典は寺の跡が長良川の底(杉江地区)になっていると記しており、杉江という地域そのものは長島町の区域の名として地上に残っているためだ。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。