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願証寺跡(長良川の底に沈んだ杉江の寺)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 推定(ピンは桑名市長島町杉江の区域内の一点。寺跡そのものの位置を示す資料には到達していない) / 最終確認日: 2026-09-15

長島一向一揆の拠点だった願証寺は、跡地に立つことができない。三重県の散策案内は、長島一向一揆の頃の長島願証寺は現在、長良川の底(杉江地区)になっている、と記す。桑名市も、もともと寺は杉江(長島町杉江)にあったとしたうえで、杉江にあった寺跡は明治期の河川改修工事によって長良川の川底に沈んでしまいました、と書く。二つの資料が、同じことを別の言い方で記している。

寺跡を沈めた側の記録も残っている。国土交通省木曽川下流河川事務所は、明治政府が河川や港湾の工事を行うためオランダから10人の技師団を招き、その一人ヨハニス・デ・レイケが明治11年から木曽三川流域を山から海までじっくりと調べて回り、その結果をもとに改修計画を作成したと記す。同じ事務所は、明治20年から25年間をかけて三川分流工事が行われ、木曽三川はほぼ現在の姿になったとする。計画の主な内容には、木曽三川を完全分流する、佐屋川を廃川にする、高須輪中に長良川新川を通す、といった項目が並ぶ。川の位置そのものを引き直す工事だった。

桑名市が書く「明治期の河川改修工事」がこの三川分流工事を指すのかどうかは、公的な資料では確かめられなかった。分かっているのは、一揆の拠点だった寺の跡が、いま川の下にあるということまでである。杉江という地名は、桑名市長島町の区域の名として、いまも地上に残っている。

願証寺跡(長良川の底に沈んだ杉江の寺)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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