新堀川跡と合羽橋(かっぱ橋の地名由来)|何があった場所か
かっぱ橋道具街には、かつて新堀川という川が流れ、関東大震災後に埋め立てられたとされる。橋名「合羽橋」の由来は、武士が内職の雨合羽を橋に干した説と、雨合羽商・合羽屋喜八の掘割工事を河童が手伝ったという伝承の二説がある。
時のながれ
- 万治2年(1659) — 新堀川が開削されたとされる(年号はWikipedia確認のみ)。
- 文化年間(19世紀初頭) — 雨合羽商・合羽屋喜八が私財を投じて掘割の水はけ工事を行い、河童が夜な夜な手伝ったという伝承が残る。
- 大正初期 — 新堀川の両岸に古道具商が店を出し、かっぱ橋道具街の発祥となったとされる。
- 昭和8年(1933) — 関東大震災後に新堀川は塞がれ、埋め立てに伴い合羽橋も撤去された。
備考
新堀川の存在と暗渠化、由来二説は台東区公式観光サイト(かっぱ橋道具街・曹源寺の各ページ)と道具街振興組合公式サイトで確認。喜八の墓所は曹源寺(かっぱ寺、松が谷3-7-2)。開削1659年・埋立1933年の年号はWikipediaのみで確認(補助資料扱い)。座標は旧合羽橋があったとされる現・合羽橋交差点付近(Wikipedia記載座標)。
近くの痕跡
- 「浅草」の地名由来(地の痕跡・約641m)
- 言問橋と東京大空襲(戦の痕跡・約1.2km)
- 山谷堀跡(山谷堀公園)(水の痕跡・約1.2km)
- 寛永寺と江戸城の鬼門封じ(方位の痕跡・約1.4km)
参考・出典
- かっぱ橋の歴史
東京合羽橋商店街振興組合 - 曹源寺(かっぱ寺)|TAITOおでかけナビ
台東区公式観光情報サイト - かっぱ橋道具街|TAITOおでかけナビ
台東区公式観光情報サイト - 合羽橋
Wikipedia(補助資料)