「浅草」の地名由来|何があった場所か
「浅草」の由来には諸説ある。武蔵野の「深草」に対し草が浅い土地だったとする説が『江戸砂子』等の地誌に見え、最も一般的とされる。ほかにアイヌ語やチベット語に由来するとする説もあり、定説は確定していない。
時のながれ
- 飛鳥時代 — 浅草寺の草創伝承(推古朝628年に観音像を感得したと伝わる)。地名と寺号の先後関係には諸説ある。
- 江戸時代 — 地誌『江戸砂子』等に、武蔵野の深草に対して草の浅い土地とする由来説が記される。
- 現代 — 草が浅い説・アイヌ語説・チベット語説など諸説併記のまま、定説は確定していない。
備考
国会図書館レファレンス協同データベース(回答館:台東区立中央図書館)で、『下谷浅草町名由来考』『台東区史 上』『東京都の地名』等に諸説の記載があることを確認。コトバンク収載の辞典類は「深草に対する浅草」説を主に載せ、アイヌ語・チベット語説は補助的。浅草寺の草創伝承(飛鳥期)と地名の先後関係は資料により記述が分かれるため要精査。座標は浅草の町域代表点として浅草寺境内を採用。
近くの痕跡
- 山谷堀跡(山谷堀公園)(水の痕跡・約827m)
- 大横川の埋立区間(大横川親水公園)(水の痕跡・約1.8km)
- 飛木稲荷神社の「焼けイチョウ」(戦の痕跡・約1.8km)
- 寛永寺と江戸城の鬼門封じ(方位の痕跡・約2.1km)
参考・出典
- 浅草の名前の由来(レファレンス事例・回答館:台東区立中央図書館)(国立国会図書館 レファレンス協同データベース)
- 浅草(アサクサ)とは(コトバンク(日本歴史地名大系ほか))