現地レポ — 痕跡の記録
資料で調べたことは、その場所に立つとどう見えるのか。この欄には、運営者が実際に歩いて、撮って、確かめた記録を置いている。
梅田の痕跡を歩いてきたは、かつて梅田の近くに住んでいた者として、北新地に残る蜆川跡の碑と、再開発されたうめきたの梅田墓所跡と、住宅街に現存する南浜墓地を歩いた日の記録である。地元なのに、知らなかったは四日市の采女で、戦国の山城跡の井戸の伝承と、古事記に出てくる「三重」の名の由来とされる坂と、帰り道に見つけた名前の分からない鳥居に行き当たった話。真夏の京都、幕末跡を歩いた一日では、蛤御門に残る弾傷らしき凹みから、龍馬が斬られた場所に建つカラオケ店まで、一日で歩いた。
現地に行って何も残っていなかったときは、残っていなかったと書く。碑の文字が読めなかったら、読めなかったと書く。訪ねた日付も必ず入れている。あとから工事や撤去で状況が変わったときに、いつ時点の記録なのかが分かるようにするためである。
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