山谷堀跡(山谷堀公園)|何があった場所か
江戸初期に開削されたとされる水路・山谷堀の跡。三ノ輪方面から隅田川へ通じ、猪牙舟による吉原への舟運路として知られたと伝わる。のちに埋め立てられて暗渠となり、現在は山谷堀公園として整備されている。公園は今、桜の名所の散策路として使われている。

近くの痕跡
- 待乳山(浅草の下町平地に残る天然の微高地)(地の痕跡・約85m)
- 言問橋と東京大空襲(戦の痕跡・約394m)
- 「向島」の地名由来(川向こうの「島」だった土地)(地の痕跡・約657m)
- 「浅草」の地名由来(地の痕跡・約827m)
時のながれ
- 江戸初期 — 隅田川の氾濫対策と関連して開削されたとされる(正確な年代は不明。元和6年〈1620〉の日本堤築造と同時期とする説がある)。
- 江戸時代 — 新吉原への舟運路として猪牙舟が行き来し、舟で通うことが粋とされたと伝わる。
- 現代 — 区立山谷堀公園として整備され、桜の名所・散策路となっている。
編集部の調査メモ
資料で確認できたこと
- 台東区の公式ページで、山谷堀公園が桜の咲く公園として紹介されていることを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 座標は台東区の公式ページにある「浅草七丁目8番付近」で、公園は隅田川側から日本堤方面へ細長く続く。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
- 開削の年代は正確には分かっていない。日本堤が築かれた元和6年(1620年)前後とする説がある。
- 埋め立ての時期と公園の長さを記した公的な資料には、いま到達できていない(以前に確かめた台東区の公式観光サイトは閲覧できなくなっている)。
⛩ この土地の福跡
- 今戸神社堀のすぐそば、今戸に鎮座する旧今戸八幡。
参考・出典
2件出典に基づいて掲載している
- 山谷堀公園付近(東京スカイツリーの見えるスポット)
台東区 - 山谷堀 - Wikipedia
Wikipedia(補助資料)
訂正履歴
- :まだ分かっていないことと時のながれの「元和6年(1621年)」を「1620年」に直した。元和6年は西暦1620年にあたるためだ。説明文の「昭和50年(1975)頃までに埋め立てられ」も、台東区の観光サイトの原文どおり「頃から埋め立てられて暗渠となり」に改めた。
- :9月28日の訂正が説明文にとどまり、時のながれの昭和50年頃の項に旧の記述(「全区間が埋め立てられ暗渠化」)が残っていたため、台東区の観光サイトの原文どおり、この頃から埋め立てられ暗渠となった、と改めた。
- :説明文に、時のながれにある、山谷堀公園が今は桜の名所の散策路として使われていることを足した。
- :出典にしていた台東区の公式観光サイトが閲覧できなくなったため出典から外し、そこで確かめていた埋め立ての時期(昭和50年頃)と公園の長さ(約700m)を、説明文・時のながれ・調査メモから外した。確かめ直せていないことは、まだ分かっていないことに書いた。
この場所について
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この近くで、地図に載っていない痕跡を知っていたら教えてください。運営者が確かめてから地図に載せます。
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