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入鹿池(寛永10年に村を沈めて築かれた溜池と、明治元年の決壊「入鹿切れ」)|何があった場所か

史実として広く知られているが、当プロジェクトとしては一次資料での検証が未完了の情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-28

犬山市の東部、山に囲まれた盆地には、江戸時代の初めまで入鹿村があった。犬山市によれば、今井川・小木川・奥入鹿川の3本の川が村に流れ込み、銚子口で1本になって村の外へ流れ出ていた。その銚子口を締め切って池にする構想を、江崎善左衛門ら入鹿六人衆が尾張藩に願い出た。川の流れが速く工事は難航し、河内国の甚九郎による棚築きの工法で長さ100間の堤を築いて、寛永10年(1633)に完成した。村は水没し、村人は前原や入鹿出新田などへ移り、天道宮と虫鹿神社も前原へ移された。犬山市の広報は、満水時の水面から約12メートル下にかつての入鹿村があり、築造の直前には約100戸の農家があったと記す。

完成から235年後の明治元年(1868)5月、長雨で堤が決壊した。のちに入鹿切れと呼ばれる。犬山市の文化財保存活用地域計画は、流れ出た濁水が周辺の62か村を飲み込み、死者941人、負傷者1,471人、流失家屋807戸、浸水家屋11,709戸の被害が生じたと記す。同じ市の広報と農林水産省は、死者を約1,000人と記す。池は明治以降に修復と堤の増築が重ねられ、平成22年(2010)に農林水産省のため池百選に選ばれ、平成27年(2015)10月13日に世界かんがい施設遺産に登録された。

入鹿池(寛永10年に村を沈めて築かれた溜池と、明治元年の決壊「入鹿切れ」)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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