尻こすり坂(荷車を尻で押さえて下った坂の下を、いまも水道が通っている)|何があった場所か
横浜市西区の藤棚町交差点から、野毛の方向へ急な坂が続いている。横浜市西区は、この坂を、上り、下り、また上って下っていく道であるとし、尻こすり坂と呼ぶ。名の由来について同区は、昔、荷車を引いた人がお尻で車を押さえながら下って行ったことから、そう呼ばれるようになったと言う、と記す。そして、いま近所の人はただ急坂と呼ぶそうだ、とも添えている。坂は残り、名のほうが先に薄れかけている。
この坂には、もうひとつの呼び名がある。同区は、明治の中頃に、相模川から横浜市内へ飲料水を送る水道管が地中に埋められた水道道であるとし、今も西谷浄水場からの水道が、この坂の下を通って運ばれていると記す。横浜市水道局は、明治20年(1887年)に日本最初の近代水道が横浜に誕生したとし、創設時の導水ルートを、水を取入れていた相模川と道志川の合流地点である三井用水取入所から、野毛山浄水場(いまの野毛山配水池)までの約44キロメートルとする。
その道すじには目印が置かれている。同局は、近代水道創設120周年を記念して、平成19年(2007年)に創設当時の導水線路上の26か所へ看板を設けたとし、25番目を西区藤棚一丁目94番先の藤棚交番前、26番目を西区老松町63番地の10の野毛山公園内とする。坂はこの二つの看板の間にあたる。野毛山公園には、横浜水道の礎を築いたイギリス工兵中佐ヘンリー・スペンサー・パーマーの像があると同局は記す。

近くの痕跡
- 尾張屋橋(昭和のはじめに消えた地名が、橋の名にだけ残っている)(地の痕跡・約507m)
- 霞橋(昭和3年の陸橋に、初代・大正2年の煉瓦壁と門柱が残る)(地の痕跡・約831m)
- 野毛山配水池(日本最初の近代水道が始まった山は、いまも水を配っている)(水の痕跡・約1.0km)
- 石崎橋(横浜道の三つの橋のひとつは、駅ができる時に場所を移した)(地の痕跡・約1.2km)
時のながれ
- 明治18年(1885年) — 神奈川県知事が英国人技師ヘンリー・スペンサー・パーマーを顧問に迎え、相模川と道志川の合流地点の三井を水源に水道の建設へ着手したと横浜市水道局は記す。
- 明治20年10月(1887年) — 日本初の近代水道として給水が始まる。創設時の導水ルートは三井用水取入所から野毛山浄水場までの約44キロメートル。
- 明治の中頃 — この坂の地中に、相模川から横浜市内へ飲料水を送る水道管が埋設されたと横浜市西区は記す。
- 大正4年(1915年) — 第2回拡張工事で西谷浄水場が完成する。
- 平成19年(2007年) — 近代水道創設120周年を記念し、創設当時の導水線路上の26か所に看板が設けられる。坂の上り口の藤棚交番前が25番目、野毛山公園内が26番目にあたる。
- 現在 — 西谷浄水場からの水道が、この坂の下を通って運ばれていると横浜市西区は記す。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市西区の連載は、藤棚町交差点から野毛の方向へ上り、下り、上り、そして下っている坂を尻こすり坂とする。
- 同じ連載は、昔、荷車を引いた人がお尻で車を押さえながら下って行ったことから尻こすり坂と呼ばれるようになったと言う、と記し、いま近所の人はただ急坂と呼ぶそうだ、と添える。
- 同じ連載は、この坂が、明治中頃に相模川から横浜市内へ飲料水を送る水道管が地中に埋設された水道道であるとし、今も西谷浄水場からの水道がこの坂の下を通って運ばれていると記す。
- 横浜市水道局は、明治20年(1887年)に日本最初の近代水道が横浜に誕生したとし、創設時の導水ルートを、相模川と道志川の合流地点である三井用水取入所(津久井郡三井村、いまの相模原市緑区)から野毛山浄水場(いまの野毛山配水池)までの約44キロメートルとする。
- 同じ水道局は、近代水道創設120周年を記念して平成19年(2007年)に創設当時の導水線路上の26か所へ看板を設けたとし、25番目を横浜市西区藤棚一丁目94番先の藤棚交番前、26番目を横浜市西区老松町63番地の10の野毛山公園内とする。
- 同じ水道局は、26番目の看板がある野毛山公園に、横浜水道の礎を築いたイギリス工兵中佐ヘンリー・スペンサー・パーマーの像があると記す。
- 横浜市水道局の横浜水道のあゆみは、神奈川県知事が英国人技師ヘンリー・スペンサー・パーマーを顧問に迎え、明治18年(1885年)に水道の建設へ着手し、明治20年10月に日本初の近代水道として給水を開始したとする。
- 同じあゆみは、第2回拡張工事によって西谷浄水場が大正4年(1915年)に完成したとする。
そのため、このページではこうしています
- 座標は坂の上り口にあたる藤棚町交差点の付近である。坂は野毛の方向へ続くが、端を示す資料が無いため、範囲は置いていない。
- 名の由来は、区の資料が言い伝えの形で書いている。そのままの形で残した。
- 坂は生活道路で、幅が狭く車も通る。歩くときは路肩に寄り、住宅の前で立ち止まらないようにしたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 尻こすり坂の名がいつから使われたのかを示す資料には到達できなかった。
- 坂の端がどこからどこまでなのかを、地番や交差点名で示した資料には到達できなかった。
- 坂に名を記した標識があるかどうかを確かめられる資料には到達できなかった。
- 水道管が埋められた時期の書き方が資料で違う。横浜市西区は明治の中頃とし、横浜市水道局は明治18年(1885年)着手、明治20年(1887年)10月給水開始とする。年をひとつに絞れる記述は見つからなかった。
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 温故知新!西区てくてくスケッチ:第五十四回 尻こすり坂
横浜市西区 - 浄水場等の見学(横浜水道創設水道導水路の看板)
横浜市水道局 - 横浜水道のあゆみ(概要)
横浜市水道局
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。