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新田間橋(岡野橋になるはずだった、新田と新田のあいだの橋)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-24

横浜市西区、新横浜通りが新田間川を渡るところに新田間橋がある。読みはあらたまばしである。横浜市西区は、安政6年(1859年)の横浜開港のときに開港場と東海道を結ぶ交通路として横浜道が建設され、その際に架けられた歴史ある橋であるとし、当時は芝生新田(現在の浅間町)と岡野新田(現在の岡野)という新田の間を結ぶ橋であったため、新田間橋と名付けられたと記す。

名づけの場面まで書き残しているのは、横浜市道路局河川企画課の川のはなしである。その第十稿は、新田と新田の間に架けられたため新田間橋と名付けられたとしたうえで、当初は岡野新田に架かる橋から岡野橋と名付けられる予定だったが、歌心のあった開発者の岡野勘四郎はこれを断り、新田間と命名したと記す。ただし、どの新田とどの新田なのかは資料によって書き方が分かれる。西区は芝生新田と岡野新田とし、河川企画課は左岸側の安永新田・弘化新田と右岸側の岡野新田とする。

橋そのものは架け替えられている。西区の温故知新 西区てくてくスケッチ第八回は、開港のときの橋を、橋材が杉と松、長さ約18メートル、幅約6メートルと記し、当時は右側が岡野新田で、左側は入江だったとする。いまの橋は昭和2年(1927年)の竣功で、横浜市道路局の震災復興橋梁一覧は、橋長21.0メートル、幅員22.0メートル、施工を国の復興局とする。同局の橋梁課は、鉄筋コンクリート造のラーメン式橋台の間に鋼桁を架ける構造を復興型橋梁と呼び、河川の埋め立て等により、横浜市ではいま吉野橋のほかに新田間橋だけがその形で残っていると記す。

新田間橋(岡野橋になるはずだった、新田と新田のあいだの橋)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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