万里橋(日本で最初の鉄道が海を埋めて渡った、その五つの橋のひとつ)|何があった場所か
横浜市西区、帷子川の河口近くに架かる橋である。横浜市西区は万里橋について、明治5年にわが国初の鉄道が開通したこと、現在の桜木町駅にあった横浜駅を出発した鉄道は海だった場所を埋め立てて整備されたこと、次の神奈川駅までに五つの橋が設けられ、その一つとして現在も残りその歴史を物語っているのがこの万里橋であることを記す。同じ区の資料は、近くで石崎川に架かる高島橋についても、かつてこの付近から現在の横浜駅周辺までは海であり、明治5年の鉄道を開通させるためにその海が埋め立てられたと説明し、橋の名は埋立事業を行った高島嘉右衛門にちなむとする。
いまの橋は明治のものではない。横浜市西区は架設年を1928年、橋長を32.95メートル、幅員を22.15メートルとする。横浜市道路局の震災復興橋梁一覧にも万里橋は22番として載り、竣功1928年、施工は横浜市、所在は西区高島二丁目10-24番地先から同二丁目13番地先とされる。同じ一覧は橋の名に読みを添えており、万里橋には「マンリハシ」とある。道路局は、震災復興橋梁は最大で178橋あったが、当時の姿のままで現存しているのは37橋になっていると記す。
橋の上は横浜駅東口から高島町へ向かう車の多い通りで、区の資料も周辺のオフィス街や専門学校を訪れる人でにぎわうと書く。残っているのは明治の構造物ではない。残っているのは、鉄道を海の上に通すために橋を架けた場所と、その場所についた名前のほうである。

近くの痕跡
- 二代目横浜駅基礎等遺構(八年で焼けた駅の土台と、発電所の取水口の跡)(地の痕跡・約390m)
- 石崎橋(横浜道の三つの橋のひとつは、駅ができる時に場所を移した)(地の痕跡・約505m)
- 新田間橋(岡野橋になるはずだった、新田と新田のあいだの橋)(地の痕跡・約753m)
- 台町の坂(茶屋から海を見おろした神奈川宿の高台)(地の痕跡・約782m)
時のながれ
- 明治5年(1872年) — わが国初の鉄道が開通する。現在の桜木町駅にあった横浜駅から神奈川駅までは海だった場所を埋め立てて整備され、その間に五つの橋が設けられたと横浜市西区は記す。
- 大正12年(1923年)9月1日 — 関東大震災が起こる。横浜市は大きな被害を受け、帝都復興院と横浜市の事業として橋が造り直されていく。
- 昭和3年(1928年) — いまの万里橋が竣功する。橋長32.95メートル・幅員22.15メートル、施工は横浜市と横浜市の資料は記す。
- 令和5年(2023年)4月1日現在 — 万里橋は、横浜市道路局の震災復興橋梁一覧に載る37橋のひとつである。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市西区の橋の概要は、明治5年にわが国初の鉄道が開通し、現在の桜木町駅にあった横浜駅を出発した鉄道は海だった場所を埋め立てて整備され、次の神奈川駅までに五つの橋が設けられたこと、その一つとして現在も残っているのが万里橋であることを記す。
- 同じ資料は、万里橋の架かる川を帷子川、橋長を32.95メートル、幅員を22.15メートル、架設年を1928年とする。
- 同じ資料は高島橋の項で、かつてこの付近から現在の横浜駅周辺までは海であり、明治5年の鉄道を開通させるためにその海が埋め立てられたこと、橋の名は埋立事業を行った高島嘉右衛門にちなむことを記す。
- 横浜市道路局の震災復興橋梁一覧は、万里橋を22番として載せ、竣功1928年、施工は横浜市、所在を西区高島二丁目10-24番地先から西区高島二丁目13番地先とする。
- 同じ一覧は橋の名に読みを添えており、万里橋には「マンリハシ」とある。
- 横浜市道路局は、震災復興橋梁は最大で178橋あったが、老朽化に伴う架け替え等により当時の姿のままで現存している橋は37橋になっていると記す。
そのため、このページではこうしています
- 長さと幅は、桁の丸め方の違いとみて、細かいほうの西区の数字を本文に採った。
- 位置は、道路局の一覧が示す両端の番地から求めた二点の間にある、帷子川を渡る橋の上の点である。
- いまの橋は1928年のものなので、明治の構造物が残っているとは書かなかった。
- この橋を渡る通りは横浜駅東口と高島町を結んでいて、車も人も多い。橋の上から帷子川を見るときは歩道の内側にとどまり、立ち止まる場所に気をつけたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 明治5年に設けられた五つの橋がそれぞれどの橋であったかを列挙した市の資料には行き当たらなかった。
- 万里という名の由来を説明した市の資料には行き当たらなかった。
- 明治に架けられたころの万里橋の構造や大きさを示す資料には到達できなかった。
- 橋の長さと幅が、西区の資料では32.95メートル・22.15メートル、道路局の一覧では33.0メートル・22.0メートルと、小数の桁で食い違う。
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 橋の概要(西区の橋)
横浜市西区役所 - 震災復興橋梁一覧(令和5年4月1日現在)
横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課 - 震災復興橋梁
横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :出典に書いた発行元の名前を、資料のページに書かれた表記(横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課)にそろえた。
- :要約で高島橋を「少し上流の」橋としていたのを直した。資料によれば万里橋は帷子川、高島橋は石崎川に架かっており、同じ川の上流ではないため。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。