石崎橋(横浜道の三つの橋のひとつは、駅ができる時に場所を移した)|何があった場所か
横浜市西区、石崎川に架かる短い橋である。横浜市西区は、安政6年(1859年)の横浜開港のときに開港場と東海道を結ぶ交通路として横浜道が建設され、その際に新田間橋や平沼橋とともに架設されたのが石崎橋であると記す。同じ区の別の資料は、旧東海道の芝生村(現在の浅間町)から新田間橋・平沼橋・石崎橋を渡り、戸部の坂を上ると山を削って造られた野毛の切通しに出る道すじであったとする。
ところが、いまの石崎橋は開港のころの位置にない。西区は、大正4年に高島町へ横浜駅を建設することになり、石崎橋は現在の場所に移動したと記す。もとの石崎橋があった場所には、昭和5年に敷島橋が架けられた。区は敷島橋の項でも、横浜道が造られたときに現在の敷島橋の場所に石崎橋が架設され、馬車や人力車が走ってさまざまな物資が行き来したと書いている。橋の名のほうが先に動き、空いた場所にはあとから別の名の橋が入ったことになる。
いまの橋そのものは、関東大震災のあとのものである。横浜市道路局の震災復興橋梁一覧は、石崎橋を橋長14.2メートル・幅員6.5メートル・竣功1928年・施工は横浜市とし、令和5年4月1日現在で残る震災復興橋梁のひとつに数える。同じ一覧は敷島橋の竣功を1929年とし、西区の記す昭和5年とは一年ずれる。安政の橋は残っていない。残っているのは橋の名と、その名が場所を移ったという記録である。

近くの痕跡
- 二代目横浜駅基礎等遺構(八年で焼けた駅の土台と、発電所の取水口の跡)(地の痕跡・約196m)
- 万里橋(日本で最初の鉄道が海を埋めて渡った、その五つの橋のひとつ)(地の痕跡・約505m)
- 桜川の跡(桜川新道と、川の名を継いだ桜木町・花咲町)(水の痕跡・約675m)
- 新田間橋(岡野橋になるはずだった、新田と新田のあいだの橋)(地の痕跡・約865m)
時のながれ
- 安政6年(1859年) — 横浜開港にあわせて横浜道が造られ、新田間橋・平沼橋・石崎橋が架設されたと横浜市西区は記す。
- 大正4年(1915年) — 高島町に横浜駅を建設することになり、石崎橋が現在の場所へ移ったと同区は記す。
- 昭和3年(1928年) — いまの石崎橋が竣功する。橋長14.2メートル・幅員6.5メートル、施工は横浜市と横浜市道路局の一覧は記す。
- 昭和5年(1930年) — もとの石崎橋があった場所に敷島橋が架けられたと同区は記す。道路局の一覧は敷島橋の竣功を1929年とする。
- 令和5年(2023年)4月1日現在 — 石崎橋は、横浜市道路局の震災復興橋梁一覧に載る37橋のひとつである。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市西区の橋の概要は、安政6年(1859年)の横浜開港のときに開港場と東海道を結ぶ交通路として横浜道が建設され、その際に新田間橋や平沼橋とともに架設されたのが石崎橋であると記す。
- 同じ資料は、大正4年に高島町に横浜駅を建設することになり、石崎橋は現在の場所に移動したと記す。
- 同じ資料は敷島橋の項で、横浜道が造られたときに現在の敷島橋の場所に石崎橋が架設されて馬車や人力車が走り物資が行き来したこと、昭和5年にかつての石崎橋があった場所に敷島橋が架けられたことを記す。
- 横浜市西区の温故知新 西区てくてくスケッチ第十四回は、旧東海道の芝生村(現在の浅間町)から新田間橋・平沼橋・石崎橋(現敷島橋)を渡り、戸部の坂を上ると山を削って造られた野毛の切通しに出る道すじであったと記す。
- 横浜市道路局の震災復興橋梁一覧(令和5年4月1日現在)は、石崎橋を橋長14.2メートル・幅員6.5メートル・竣功1928年・施工は横浜市とし、所在を西区平沼一丁目5-5番地先から西区戸部本町51-1番地先とする。
- 同じ一覧は、敷島橋を橋長15.2メートル・幅員8.0メートル・竣功1929年・施工は横浜市とし、新田間橋を橋長21.0メートル・幅員22.0メートル・竣功1927年・施工は国の復興局とする。
そのため、このページではこうしています
- 移動の中身が資料から分からないため、区の表記のまま、場所が移ったこととして示した。
- 位置は、道路局の一覧が示す両端の番地から求めた石崎川の上の点である。
- 敷島橋の完成年は、二つの数字を並べたままにした。
- 橋の前後は車の通る道である。眺めるときは歩道の中にとどまり、通行の妨げにならないようにしたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 大正4年の移動が、橋そのものを運んだことなのか、架ける場所を変えたことなのかを説明した資料には行き当たらなかった。
- 安政6年に架けられたころの石崎橋の構造や大きさを示す資料には到達できなかった。
- 石崎橋という名の由来を説明した市の資料には行き当たらなかった。
- 敷島橋の完成年が、西区の橋の概要では昭和5年(1930年)、横浜市道路局の震災復興橋梁一覧では1929年と一年ずれる。
参考・出典
4件出典に基づいて掲載している
- 橋の概要(西区の橋)
横浜市西区役所 - 温故知新!西区てくてくスケッチ:第十四回 野毛の切通し
横浜市西区役所 - 震災復興橋梁一覧(令和5年4月1日現在)
横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課 - 震災復興橋梁
横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :出典に書いた発行元の名前を、資料のページに書かれた表記(横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課)にそろえた。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。