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石崎橋(横浜道の三つの橋のひとつは、駅ができる時に場所を移した)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-22

横浜市西区、石崎川に架かる短い橋である。横浜市西区は、安政6年(1859年)の横浜開港のときに開港場と東海道を結ぶ交通路として横浜道が建設され、その際に新田間橋や平沼橋とともに架設されたのが石崎橋であると記す。同じ区の別の資料は、旧東海道の芝生村(現在の浅間町)から新田間橋・平沼橋・石崎橋を渡り、戸部の坂を上ると山を削って造られた野毛の切通しに出る道すじであったとする。

ところが、いまの石崎橋は開港のころの位置にない。西区は、大正4年に高島町へ横浜駅を建設することになり、石崎橋は現在の場所に移動したと記す。もとの石崎橋があった場所には、昭和5年に敷島橋が架けられた。区は敷島橋の項でも、横浜道が造られたときに現在の敷島橋の場所に石崎橋が架設され、馬車や人力車が走ってさまざまな物資が行き来したと書いている。橋の名のほうが先に動き、空いた場所にはあとから別の名の橋が入ったことになる。

いまの橋そのものは、関東大震災のあとのものである。横浜市道路局の震災復興橋梁一覧は、石崎橋を橋長14.2メートル・幅員6.5メートル・竣功1928年・施工は横浜市とし、令和5年4月1日現在で残る震災復興橋梁のひとつに数える。同じ一覧は敷島橋の竣功を1929年とし、西区の記す昭和5年とは一年ずれる。安政の橋は残っていない。残っているのは橋の名と、その名が場所を移ったという記録である。

石崎橋(横浜道の三つの橋のひとつは、駅ができる時に場所を移した)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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