旧平沼専蔵別邸の亀甲積擁壁(別邸が建っていた斜面に、亀甲積みの石垣が残る)|何があった場所か
横浜市西区の野毛坂に、六角形の石を積み上げた高い石垣がある。横浜市の認定歴史的建造物の一覧は、これを「旧平沼専蔵別邸亀甲積擁壁及び煉瓦塀」とし、所在地を西区老松町、建築年代を明治23年(1890年)から明治26年(1893年)の間、認定年度を平成18年度とする。横浜市の個別の紹介ページは、所在地を西区老松町29番地とし、設計・施工を不明とする。名前が示すとおり、認定されているのは擁壁と塀であって、建物ではない。
横浜市西区の連載「温故知新!西区てくてくスケッチ」の第二十九回は、野毛切通しの野毛坂交差点角にある市立中央図書館の反対側に、お城の石垣のような斜めに積み上がった立派な石積みがあるとし、この場所には明治時代、生糸などを扱った貿易商・平沼専蔵の別邸が建っていたと記す。当時この野毛周辺には豪商の原善三郎や茂木惣兵衛などの別邸も建っていたという。石垣は亀の甲羅のような六角形の石材が上下左右に積み重ねてある亀甲積みと呼ばれる積み方で、見るからに堅固でありながら形が整っていて美しい、と同じ資料は書く。
同じ資料は、明治時代に入って城壁の仕事はなくなったが、豪商の石垣にその歴史ある石積み技術が発揮され、いまも西区のこの地に残されているのだと結ぶ。石積みは坂に面しているので、外から見上げることができる。敷地の中へは入らず、歩道から眺めたい。坂の途中で車の通りが多いので、立ち止まる場所には気をつけたい。別邸の建物がいつなくなったのかを記す資料には、まだ行き当たっていない。

近くの痕跡
- 神奈川奉行所跡(開港の年に置かれた役所の跡に、石碑が立つ)(地の痕跡・約319m)
- 長者橋(戦争で消えた灯具を、市民の写真から復元した橋)(地の痕跡・約426m)
- 野毛山配水池(日本最初の近代水道が始まった山は、いまも水を配っている)(水の痕跡・約460m)
- 桜川の跡(桜川新道と、川の名を継いだ桜木町・花咲町)(水の痕跡・約657m)
時のながれ
- 明治時代 — 生糸などを扱った貿易商・平沼専蔵の別邸が、この場所に建つ。野毛の周辺には原善三郎や茂木惣兵衛などの別邸もあったという。
- 明治23年(1890年)から明治26年(1893年)の間 — 亀甲積の擁壁と煉瓦塀が築かれる。
- 平成18年度(2006年度) — 「旧平沼専蔵別邸亀甲積擁壁及び煉瓦塀」として、横浜市認定歴史的建造物に認定される。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市の認定歴史的建造物の一覧は、「旧平沼専蔵別邸亀甲積擁壁及び煉瓦塀」について、所在地を西区老松町、建築年代を明治23年(1890年)から明治26年(1893年)の間、認定年度を平成18年度とする。
- 横浜市都市整備局都市デザイン室の個別の紹介ページは、同じ名称・建築年代を示し、所在地を西区老松町29番地と番地まで示し、設計・施工を不明とする。掲載されている写真は擁壁のものである。
- 横浜市西区の連載「温故知新!西区てくてくスケッチ」の第二十九回は、野毛切通しの野毛坂交差点角にある市立中央図書館の反対側に、お城の石垣のような斜めに積み上がった立派な石積みがあると記す。
- 同じ資料は、この場所には明治時代、生糸などを扱った貿易商・平沼専蔵の別邸が建っていたとし、当時この野毛周辺には豪商の原善三郎や茂木惣兵衛などの別邸も建っていたという、と記す。
- 同じ資料は、石垣を、亀の甲羅のような六角形の石材が上下左右に積み重ねてある亀甲(きっこう)積みと呼ばれる積み方だとし、見るからに堅固でありながら形が整っていて美しいと書く。この石積みは横浜市認定歴史的建造物に認定されているとも記す。
- 同じ資料は、明治時代に入って城壁の仕事は無くなったが、豪商の石垣にその歴史ある石積み技術が発揮され、今も西区のこの地に残されているのだと結ぶ。
- 同じ資料には、2013年6月から広報よこはま西区版で掲載されたスケッチと文章であり、内容は現在とは異なる場合があるという断りが付されている。題字・絵・文は西区文化協会の鈴木太郎による。
そのため、このページではこうしています
- 座標は、西区の観光マップが「旧平沼専蔵邸の石積擁壁」として示す地点を採った。横浜市の一覧は所在地を町名まで、個別の紹介ページは西区老松町29番地と示す。地点は町域の範囲を示すものとして扱う。
- 所在地は、横浜市の一覧に合わせて町名までとした。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 別邸の建物がいつ、どのような経緯でなくなったのかを記す横浜市の資料には到達できなかった。
- いまこの土地がどう使われているかも、横浜市の資料では確認できなかった。石積みは坂に面しているが、その奥がどうなっているかは資料からはわからない。
- 擁壁の高さ・長さ・石材の産地といった数値は、横浜市の資料にない。石積みの精度を市内で比べた評価を載せる民間の記事もあるが、横浜市の資料には同じ記述がないため採っていない。
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 旧平沼専蔵別邸亀甲積擁壁及び煉瓦塀
横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 - 横浜市認定歴史的建造物 一覧
横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 - 温故知新!西区てくてくスケッチ:第二十九回 旧平沼専蔵邸の石積み擁壁(ようへき)
横浜市西区
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :要約で、横浜市の個別の紹介ページが構造を石造の擁壁と煉瓦塀としていると書いていたのを直した。そのページに構造の行は無く、所在地を西区老松町29番地と示しているため。調査メモの「横浜市の資料は所在地を町名までしか示さない」も同じ理由で直した。
- :見出しの「屋敷は消え」と、要約の「屋敷より長く残ったことになる」を改めた。資料は、この場所に別邸が建っていたことまでを記し、いつなくなったかは記していないため。
- :出典に書いた発行元の名前を、資料のページに書かれた表記(横浜市都市整備局企画部都市デザイン室)にそろえた。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。