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二代目横浜駅基礎等遺構(八年で焼けた駅の土台と、発電所の取水口の跡)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-19

横浜駅は、これまでに三つの場所に置かれてきた。初代は明治5年(1872)に新橋との間で開業した日本最初の鉄道の終点で、位置は現在の桜木町駅にあたる。二代目は、そこから東京寄りの高島町に置かれた。高島という地名は、明治3年に横浜の鉄道敷設用地の海面埋立工事を落札した高島嘉右衛門に由来し、線路と道路の部分を除いた埋立地が嘉右衛門に与えられたことによる、と西区の資料は記す。現在の位置、すなわち三代目の横浜駅に移ったのは、関東大震災のあとの昭和3年(1928)である。

二代目の駅舎は、二階建てで塔を持つ赤煉瓦造りだった。建築年代は、横浜市の認定資料が大正3年(1914)とし、同じ市の広報紙『歴史を生かしたまちづくり横濱新聞』第21号は大正4年(1915)竣工とする。設計は鉄道院、施工は清水組で、基礎工事は太田工業事務所が担った。大正12年(1923)の関東大震災で外壁を残して焼け、西区の資料はこれを八年の短命と呼ぶ。同じ広報紙は、この駅を1915年から1928年までと記す。

駅舎の基礎が掘り出されたのは平成15年(2003)6月、マンションの建設中である。横浜市は平成18年度、これを二代目横浜駅基礎等遺構の名で市認定歴史的建造物に認定した。所在地は西区高島二丁目1番1号。駅舎の遺構は赤煉瓦積みの基礎で、西区の資料は手荷物受付所などの基礎部分と記す。同じ場所からは、横浜共同電燈会社裏高島発電所の第二海水引入口の水槽部分と導管部分が交差する箇所も出ており、こちらは明治40年(1907)ころとされる。

市の広報紙は、建設中のマンションの外構に一部が保全され公開される予定と記し、西区の資料は現在公開されていると記す。ただし同じ資料は、道路から遺構は見えにくいとも記す。敷地は居住者の生活の場でもある。見学は静かに、通行の妨げにならないように。位置は概略である。

二代目横浜駅基礎等遺構(八年で焼けた駅の土台と、発電所の取水口の跡)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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