二代目横浜駅基礎等遺構(八年で焼けた駅の土台と、発電所の取水口の跡)|何があった場所か
横浜駅は、これまでに三つの場所に置かれてきた。初代は明治5年(1872)に新橋との間で開業した日本最初の鉄道の終点で、位置は現在の桜木町駅にあたる。二代目は、そこから東京寄りの高島町に置かれた。高島という地名は、明治3年に横浜の鉄道敷設用地の海面埋立工事を落札した高島嘉右衛門に由来し、線路と道路の部分を除いた埋立地が嘉右衛門に与えられたことによる、と西区の資料は記す。現在の位置、すなわち三代目の横浜駅に移ったのは、関東大震災のあとの昭和3年(1928)である。
二代目の駅舎は、二階建てで塔を持つ赤煉瓦造りだった。建築年代は、横浜市の認定資料が大正3年(1914)とし、同じ市の広報紙『歴史を生かしたまちづくり横濱新聞』第21号は大正4年(1915)竣工とする。設計は鉄道院、施工は清水組で、基礎工事は太田工業事務所が担った。大正12年(1923)の関東大震災で外壁を残して焼け、西区の資料はこれを八年の短命と呼ぶ。同じ広報紙は、この駅を1915年から1928年までと記す。
駅舎の基礎が掘り出されたのは平成15年(2003)6月、マンションの建設中である。横浜市は平成18年度、これを二代目横浜駅基礎等遺構の名で市認定歴史的建造物に認定した。所在地は西区高島二丁目1番1号。駅舎の遺構は赤煉瓦積みの基礎で、西区の資料は手荷物受付所などの基礎部分と記す。同じ場所からは、横浜共同電燈会社裏高島発電所の第二海水引入口の水槽部分と導管部分が交差する箇所も出ており、こちらは明治40年(1907)ころとされる。
市の広報紙は、建設中のマンションの外構に一部が保全され公開される予定と記し、西区の資料は現在公開されていると記す。ただし同じ資料は、道路から遺構は見えにくいとも記す。敷地は居住者の生活の場でもある。見学は静かに、通行の妨げにならないように。位置は概略である。

近くの痕跡
- 石崎橋(横浜道の三つの橋のひとつは、駅ができる時に場所を移した)(地の痕跡・約196m)
- 万里橋(日本で最初の鉄道が海を埋めて渡った、その五つの橋のひとつ)(地の痕跡・約390m)
- 桜川の跡(桜川新道と、川の名を継いだ桜木町・花咲町)(水の痕跡・約654m)
- 新田間橋(岡野橋になるはずだった、新田と新田のあいだの橋)(地の痕跡・約933m)
時のながれ
- 明治3年(1870) — 高島嘉右衛門が横浜の鉄道敷設用地の海面埋立工事を落札する。線路と道路を除いた埋立地が与えられ、高島町の町名の由来となる
- 明治5年(1872) — 新橋と横浜の間に日本最初の鉄道が開通する。初代横浜駅は現在の桜木町駅の位置にあたる
- 明治31年(1898) — 常盤町火力発電所に増設の余地がなくなり、横浜共同電燈会社が裏高島町火力発電所(216キロワット)を建てる
- 明治40年(1907)ころ — 遺構として残る発電所の第二海水引入口がつくられたとされる時期
- 大正3年(1914) — 横浜市の認定資料が記す、二代目横浜駅駅舎の建築年代。設計は鉄道院、施工は清水組で、基礎工事は太田工業事務所
- 大正4年(1915) — 横浜市の広報紙『横濱新聞』第21号が記す、二代目横浜駅の竣工。二階建てで塔を持つ赤煉瓦造りだった
- 大正12年(1923) — 関東大震災。駅舎は外壁を残して焼ける
- 昭和3年(1928) — 横浜駅が現在地へ移る
- 平成15年(2003)6月 — マンションの建設中に、駅舎の基礎と発電所の第二海水引入口の遺構が見つかる
- 平成18年度(2006年度) — 二代目横浜駅基礎等遺構として横浜市認定歴史的建造物に認定される
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市都市整備局都市デザイン室の認定ページに、名称は二代目横浜駅基礎等遺構(第二代横浜駅駅舎基礎遺構および横浜共同電燈会社裏高島発電所遺構)、所在地は西区高島2-1-1、建築年代は駅舎が大正3(1914)年・発電所が明治40(1907)年ころ、設計は駅舎が鉄道院・発電所が横浜共同電燈会社、施工は清水組(基礎工事は太田工業事務所)とある
- 横浜市認定歴史的建造物 一覧に、二代目横浜駅基礎等遺構、西区高島、大正3(1914)年ほか、平成18年度認定として載る
- 横浜市の広報紙『歴史を生かしたまちづくり横濱新聞』第21号(平成19年3月1日)に、平成15年6月にマンション建設中に発見された遺構であること、大正4(1915)年に竣工した二代目横浜駅(1915-1928)の赤レンガ積みの基礎部分と、横浜共同電燈株式会社の発電所『第二海水引入口』の水槽部分と導管部分の交差する部分が残されていること、建設中のマンション外構に一部が保全され公開される予定であることが記されている。分類は土木産業遺構、所在は西区高島2丁目
- 同じ第21号は、この回の認定を4件とし、横浜市認定歴史的建造物は77件になったと記す
- 横浜市西区『温故知新!西区てくてくスケッチ』第二十回に、場所は高島町交差点のJR京浜東北線高架脇であること、初代横浜駅は今の桜木町駅の位置であること、大正4(1915)年に二階建てで塔のある赤レンガ造りの駅舎が建ったこと、大正12(1923)年の関東大震災で外壁を残して焼失し8年の短命だったこと、掘り出された駅舎の手荷物受付所などの基礎部分のレンガが公開されていること、横浜共同電燈会社裏高島発電所の海水引入口の遺構もあること、道路から遺構は見えにくいことが記されている
- 横浜市西区『データでみる西区 令和6年版』に、関東大震災後の昭和3年に現在地に移った横浜駅とある
- 横浜市西区『知ってる?西区のむかし』第8回に、高島嘉右衛門が明治3年に横浜の鉄道敷設用地海面埋立工事を落札し、線路及び道路部分を除いた埋立地が与えられたことが高島町の町名の由来だとある
- 横浜市中区の歴史年表に、1872年(明治5年)10月 新橋-横浜間鉄道開業とある
- 関東電気協会『電気ゆかりの地を訪ねて』Vol.16に、明治31年(1898)に裏高島町火力発電所(216キロワット)が建設されたこと、明治35年(1902)の同発電所の増設に伴い常盤町火力発電所が廃止されたことが記されている
そのため、このページではこうしています
- 遺構は集合住宅の外構にあり、居住者の生活の場でもある。西区の資料も道路から遺構は見えにくいと記す。見学は静かに、通行の妨げにならないように
- 位置は概略である
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 遺構のそばに説明板があるかどうかは、横浜市・西区の資料では確認できなかった
- 見学できる時間帯や範囲についての案内は、横浜市・西区の資料には見当たらない
- 二代目横浜駅の駅舎を設計した個人の名は確認できなかった。横浜市の資料は設計を鉄道院とのみ記す
- 二代目横浜駅の開業の月日は、横浜市・西区の資料では確認できなかった
- 駅舎の年代について、横浜市の認定資料は建築年代を大正3(1914)年とし、同じ市の広報紙『横濱新聞』第21号は大正4(1915)年竣工とする
- 駅の存続について、西区の資料は関東大震災で焼失し8年の短命と記し、『横濱新聞』第21号は二代目横浜駅を1915年から1928年までと記す
- 横浜共同電燈会社について、『横濱新聞』第21号はわが国最初の発電・配電事業者と記すが、関東電気協会の資料は、同社が明治23年(1890)10月1日に始めた電灯供給を、東京・日本橋の日本初から3年後で全国6番目の開業とする
参考・出典
9件出典に基づいて掲載している
- 二代目横浜駅基礎等遺構(第二代横浜駅駅舎基礎遺構および横浜共同電燈会社裏高島発電所遺構)
横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 - 横浜市認定歴史的建造物 一覧
横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 - 歴史を生かしたまちづくり横濱新聞 第21号(平成19年3月1日)
横浜市都市整備局都市デザイン室 - 歴史を生かしたまちづくり横濱新聞(バックナンバー一覧)
横浜市都市整備局都市デザイン室 - 温故知新!西区てくてくスケッチ:第二十回 二代目横浜駅遺構
横浜市西区 - 知ってる?西区のむかし(第8回 高島嘉右衛門/第2回 新橋・横浜間の鉄道開通)
横浜市西区 - データでみる西区 令和6年(2024年)版
横浜市西区 - 中区歴史年表
横浜市中区 - 電気ゆかりの地を訪ねて Vol.16 神奈川県初の配電線による電灯供給「常盤町火力発電所」
関東電気協会
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :出典に書いた発行元の名前を、資料のページに書かれた表記(横浜市都市整備局企画部都市デザイン室)にそろえた。
- :見出しの「土台だけが残っている」を改めた。同じ場所には駅舎の基礎とあわせて、発電所の海水引入口の遺構も残っているため。
- :要約の冒頭「横浜駅は三度場所を変えている」を「これまでに三つの場所に置かれてきた」に直した。場所は三つで、移ったのは二度であるため。
- :説明文の「残るのは赤煉瓦積みの基礎で」を「駅舎の遺構は赤煉瓦積みの基礎で」に改めた。同じ場所には発電所の第二海水引入口の遺構も残っており、残るものが基礎だけと読める書き方だったためだ。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。