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水 水の痕跡 資料確認済み

野毛山配水池(日本最初の近代水道が始まった山は、いまも水を配っている)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-19

横浜の近代水道は、1887年(明治20)10月17日に市内への給水を始めた。横浜市水道局はこれを日本で最初の近代水道とし、10月17日を近代水道創設記念日としている。指導したのはイギリス人技師ヘンリー・スペンサー・パーマーで、『横浜水道130年史』は来日当時の肩書きをイギリスの陸軍工兵中佐と記す。取水口は相模川左岸、道志川との合流点付近の三井用水取入所(現在の相模原市緑区)に置かれ、そこから野毛山までを43.9キロメートルの導水路で結んだ。同書によれば野毛山の施設は標高50.5メートルの地にあり、創設当時は野毛山貯水場と呼ばれた。

この水は街の消火にも回された。横浜市消防局の消防年表は1887年9月に「水道の完成に伴い市内各所に球式消火栓131個を設置」と記し、これをわが国最初の消火栓としている。1923年(大正12)の関東大震災で野毛山の浄水場は修理の余地がないまでに破壊され、導水は途中から西谷へ切り替えられた。横浜市みどり環境局の資料によれば、内務省は野毛山を中央公園として計画し、原家・茂木家の別荘地に「隣接する浄水場用地」と市長公舎跡地を加えて取得した。大正14年に都市計画決定、翌年に第一期が開園している。

野毛山はいまも水を配る場所である。横浜市の災害時給水所位置図(2026年8月)には、西区の給水所として野毛山が載る。ただし配水池は現役の水道施設であり、水道局が見学を受け入れているのは川井浄水場・小雀浄水場・青山水源事務所の三か所で、野毛山は含まれない。園内には、配水池の脇に建つパーマーの胸像と、みなとみらいを見晴らす展望台がある。胸像は水道創設100周年の記念事業として、1986年4月に建てられた。

名称は時期で変わる。創設時は貯水場、拡張期は浄水場、震災復興以後は配水池と呼ばれた。震災復興で築かれた円形の配水池は、同書資料編によれば2001年3月29日に運用を停止している。創設時の取水は相模川で、道志川へ水源を移したのは1897年である。函館市の観光情報サイトは、函館の上水道を明治22年完成としたうえで、日本人が設計したものとしては日本初と説明している。施設には手を触れず、柵や表示のある区域には入らないこと。位置は概略である。

野毛山配水池(日本最初の近代水道が始まった山は、いまも水を配っている)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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